Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

『アイリッシュマン』:円熟したスコセッシ監督の集大成にして映画史に残る名作

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満を持して公開されたマーティン・スコセッシ監督の最新作にして超大作『アイリッシュマン』

 

ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、マーティン・スコセッシという『グッド・フェローズ』のトリオだけでも垂涎モノだけど、そこへ追い打ちをかけるように参戦するアル・パチーノ。

 

これを観ずして2019年は終わらない、いや、終えれない……

 

というわけで私、仕事放っぽり出して劇場公開版を一足先に観てきました。(昂然とサボりかましましたが、仕事忙しすぎてアイリッシュマンが劇場で公開していたことすら知らなかったというのは、ここだけの話。)

 

『ローマ』のときにも感じたことだけど、劇場で観ても何ら遜色ないクオリティーの作品を、居間のソファでポテチ食いながら観られる時代になったんだよね。これって凄いことだと思いません? 思いますよね、そうですよね?

 

豪華キャスト・スタッフを集める手腕と資金力もさることながら、15年前なら「そんな世迷い言を」と嗤笑されたであろう理想を体現したNetflixは、今や世界に誇る映画スタジオの地歩を築いたのだとつくづく実感した。

 

「うぇー、値上げかよ……」とか言ってる場合じゃないよ、これは。

こんなことが可能なら、おいちゃん嬉々として財布の紐緩めるよ。

 

それはさておき、そろそろ本題へ。

 

Spoiler Warning──ネタバレを含みます

 

 

夢の共演

私のスター監督、マーティン・スコセッシ

 

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© 2019 Netflix

私がアート系映画の面白さ、奥深さに気付いたのは『タクシードライバー』を初めて観た時だった。正直に言うと、初見のときはこの作品が傑作と言われる所以が理解できなかった。ただ漠然と、「なんかすげー」と思った。でも、具体的にどこか凄いのか、何が凄いのかを言語化することができなかった。

 

作品全体を覆う閉塞感と、ベトナム戦争という時代背景。台詞だけでなく映像によって、視覚的に示されるトラヴィスの狂気が次第に増幅していく様子。これらが理解できて、私の溜飲が下ったのはスコセッシ監督自らによる音声解説を聞いたときだった。

 

それまで、ただなんとなく受け身で映画を観ていた私に、演出意図やら作品の背景といった新たなパラダイムをもたらしてくれた作品、それが『タクシードライバー』だった。

 

音声解説でやたらとハイテンションでマシンガントークをぶちかますマーティン・スコセッシ監督。その言葉の端々から、本当に映画が大好きでたまらないというのがひしひしと伝わってくる。しかも、中盤で登場する人物──妻を殺したいとか物騒なことをのたまうサラリーマン──は、監督本人だと言うではないか。

 

私はすぐに、スコセッシ監督のことが大好きになった。

 

それから、スコセッシ監督の作品を一気に観た。目まぐるしく動き回るカメラ。ストップモーションにかぶせたモノローグ。巧みな編集。そして、すべての作品に共通するテーマ「栄光と破滅」

 

一見すると、エネルギー迸る作品に思える『グッド・フェローズ』や『カジノ』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』


だが、画面全体からみなぎるエネルギーの裏には、繊細な機微がたしかに感じられる。マーティン・スコセッシ監督は、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に代表されるような、イケイケハイテンションの作品が売りの監督ではない。

 

一見そういう皮を被った、そのじつ人一倍繊細な映画を撮る稀有なフィルムメイカーなのだ。

 

それにしても、晩年のスコセッシ監督はいい表情してらっしゃる。温厚で人好きのする、めちゃくちゃ愛嬌のあるおじいちゃんである。おじいちゃん推しで有名な映画ブロガー、ナイトウミノワさんもイチオシのスコセッシ監督。

 

だってほら、これですよ、これ‼

 

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えぇ顔してらっしゃる

 

なんというマスコット感(← 失礼)

 

私の尊敬する映画監督の一人にして、個人的に最も大好きな映画監督。そんなスコセッシ監督の新作はというと、集大成的な作品だという印象を受けた。

 

ヴァラエティー誌とか、ニューヨークタイムズ紙の映画評でしばしば見受ける「Brilliant Work」とはまさにこのこと。

 

非の打ち所がなく、完全無欠で、間然する所がない。

3時間半の上映時間が一瞬に感じる──つまり、どこをとっても不要なカットなど1つもないのである。

 

VFXで若返った名優デニーロ

 

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© 2019 Netflix

 

公開時期が大幅にずれ込んだ原因として、デニーロの若返りVFXが存外に手間取った、というのが公式の発表だ。

 

「ワイルド・スピード」で、夭逝したポール・ウォーカーをVFXで蘇らせたあたりから、何となく予想はついてたけれど、かくも自然にVFXで俳優の顔を弄れるとなると、ただただ驚嘆の念を禁じ得ない。

 

「アベンジャーズ」シリーズでも使われた若返りVFXは、「アイリッシュマン」で完成された。

 

先日のネットニュースでは、今度はなんと、ジェームズ・ディーンを全身フルCGで再現し、新作映画の準主役に据えるという。

 

ここまでくると、映像技術の長足の革新とそれについての倫理的な問題とか、そういう域に達する。数年前にオードリー・ヘップバーンがCGで再現されたCMしかり、今や映像技術は「不可能」の領域をしらみつぶしにしている。

 

死者をデジタル化してネット上にアップロードし、故人とデジタル上で逢えるというサービスが、今アメリカで人気を博しているらしい。かと思えば、アヴィーチーの最新アルバムは、本人の死後にリリースされたり。

 

なまじ技術の進歩が速すぎて、私たちの倫理観が確立されないまま、技術ばかりが驀進してしまっている現状。こと映画に関して言えば、若返りVFXはいいとしても、故人を蘇らせるのは戴けない。死人を墓から掘り返すのと同じだと思う。それでいくらか喜ぶファンもいるんだろうけれど、故人の尊厳を蔑ろにしているような気がするからだ。

 

『アイリッシュマン』を観て、そんな映画の未来像が垣間見えたような気がした。

 

とりあえず、どれだけクローズアップしても一切の綻びが出ないILMの技術力に敬服。マジですごい。いやホントに。掛け値無しにすごい。

 

アル・パチーノの扱い方

 

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© 2019 Netflix

 

ブチ切れた演技をすれば、アル・パチーノの右に出る者はいない。怒らせたアル・パチーノほど、恐ろしいものはないと言ってもいい。

 

だってほら、ゴッドファーザー1作目のときからあの貫禄と迫力ですよ! 『スカーフェイス』のクライマックス、『狼たちの午後』の銀行襲撃シーン、『カリートの道』のブチ切れるシーン。念願のオスカーを獲った『セントオブウーマン』で、チャーリーを侮辱された瞬間にブチ切れるシーン。

 

アル・パチーノのブチ切れた演技を挙げれば枚挙に暇がない。

 

そんなアル・パチーノブチ切れ具合は、『アイリッシュマン』でも健在である。齢70だとは思えないような、圧倒的な迫力と怒号で、誰彼かまわずどやしつける。

 

Fワード連発で、所構わずブチ切れる。


で、その怒りを鎮静するかのごとく、ひたすらスイーツを頬張る。この繰り返しが延々と続く。

 

収監された辺りから、組合内での権力も弱まり始め、それでも尚、傲岸不遜に振る舞う「裸の王様」ぶり。誰の目から見ても滑稽である。

 

で、散々「滑稽さ」を強調しておいて、お涙頂戴の愁嘆場もなくあっさりと射殺。後ろから警告するでもなしに、あっさりと、唐突に殺される。

 

アル・パチーノですよ!
泣く子も黙るアル・パチーノ。小学生でも知ってるアル・パチーノですよ!

 

そんな名優を、こんな扱い方できるのはスコセッシ監督しかいない。

 

『グッド・フェローズ』で、レイ・リオッタがFBIに捕まったとき、「これが警察でよかった。ワイズガイなら警告もなしに撃ってる」と言ってた、まさにアレである。ワイズガイは、映画のように「三つ数える」ことはない。相手を処分できれば、それで十分なのだ。

 

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© 2019 Netflix

 

そんなアル・パチーノが、フランクの娘と接するときに見せる温厚な表情。これがまたいい顔してるんだな。このくらい柔和な表情になると、もはや演技なのか、俳優本人の地金なのかは分からない。いや、いずれにせよ、いい表情である。

 

ロバート・デ・ニーロの目尻の皺もそうだけれど、二人ともいい歳の取り方されたなぁと、しみじみ思う。こういうおじいちゃんに、私はなりたい(← なんの話やねん)

 

あと、流石はアル・パチーノだなぁと実感したのは、組合員を前にしてノリノリで演説をぶつシーン。抑揚の付け方といい、トップたるオーラといい、堂に入ってるとかそういう次元を超えてる。選挙パフォーマンスとかしたら、そんじょそこらの議員よりもよっぽど票数獲れるんじゃないかと思うくらい。

 

ショックだったのは、大統領特赦によって出所したアル・パチーノが、マスコミの前から歩み去るシーン。ハリウッド俳優たちの中でも、小柄な部類に属するアル・パチーノだが、それにしても「小っちゃくなったなぁ……」と。

 

「運び屋」で、DEA捜査官に捕まったイーストウッドが今にも倒れそうな歩幅で後ずさったのと同じショックを感じた。

 

そうかぁ… ハリウッドの名優も、いつまでも「あの頃」もままじゃないんだな……

 

そんな悲哀が胸を塞ぐのだ。

 

グッド・フェローズではない。キャリアを重ねた円熟したスコセッシの神業

 

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© 2019 Netflix

マーティン・スコセッシ監督は、「栄光と破滅」を描き続けてきた。

 

『タクシードライバー』では、ベトナム帰還兵として夜のニューヨークタイムズを彷徨うトラヴィスの栄光と破滅を。(狂気は、それを描く装置であってそれが主題ではない)


「グッド・フェローズ」では、リトルイタリーで育った一人の少年がギャングとして成功し、凋落するまでをメーターぶっちぎりのスピード感で描ききる。


そして本作「アイリッシュマン」では、全米トラック運転組合(チームスター)の右腕、フランク・シーランの半生を丁寧に切り取った。

 

典型的なハリウッド映画では、日常→破滅→栄光という展開を経る。中盤で破滅に陥り、最後は栄光を手に大団円のうちに終幕する。これがセオリーにして伝統だ。

 

だが、スコセッシ監督は違う。

 

3時間の尺の中で、栄光を手のするのは最初の1時間だけ。残りの2時間弱はゆっくりと、しかし確実に辿る破滅への道のりを描く。教訓的だとか示唆に富んでいるとか、そういう上辺だけの言葉では言い表せないほど、スコセッシ作品の結末は「哀れ」なのだ。

 

「アイリッシュマン」の製作が発表されたとき、ファンは「またグッド・フェローズが観られるぞ」と色めき立った。だが、「アイリッシュマン」は「グッド・フェローズ」とは違う。扱っている題材や、配役こそ同じだが、そこで描かれているのは「グッド・フェローズ」とは比べものにならないくらいの円熟した「栄光と破滅」なのだ。

 

「グッド・フェローズ」では、レイ・リオッタがヤク漬け≪ジャンキー≫になって、顔面蒼白の中、ただひたすらトマトスープとヤクの見守りをする様子で、破綻していく様を見せた。


一方、「アイリッシュマン」はというと、老人となって老いぼれ、娘たちから厭まれてたった一人でひっそりと朽ちていくフランクが描かれる。


凡百のハリウッド映画なら、アル・パチーノ演じるジミー・フォッファが銃殺されたシーンでエンドクレジットに突入する。

 

だが、そこから先、あえて35分も時間を割いて、フランクの晩年(現在)を丁寧に見せることに、意味がある。これこそスコセッシ作品の妙なのだ。

 

耄碌し、パンすらまともに食べられないラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ) 老人ホームで、たった一人で暮らすフランク。往年の名優たちが、老いぼれている様子を臆面もなく見せつける。

 

なんとも哀れで、蕭然としたこの描写が、「アイリッシュマン」と「グッド・フェローズ」の違いだ。

 

年を重ねたスコセッシ監督だからこそ描ける円熟した「破滅」の描写。

 

これをスコセッシ監督の集大成と言わずしてなんと言おうか。紛れもない傑作が、21世紀の映画史に敢然と刻まれた。

 

時代背景

 

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© 2019 Netflix

全米トラック組合≪チームスター≫が、のさばっていたのはケネディの時代。1950年代後半〜1960年代がストーリーの主な舞台となる。

 

この時代、ジョン・F・ケネディが大統領に就任し、弟のロバートが司法長官の座についた。ケネディには、マフィアとの黒い繋がりや、CIA主導のキューバへの内政干渉などなど、色々ときな臭い部分が多い。このあたりの煩雑を極めた時代背景は、ジェイムズ・エルロイの「アンダーワールドUSA」に詳しい。

 

 

 

なぜ映画化されないのか不思議なくらい、小説それ自体が映画のようなジェットコースターで展開するので、興味のある方は是非とも一読して欲しい。いや、ホントに面白いから。

 

アル・パチーノ扮するジミーフォッファは、食品配送の職員から組合トップへ上り詰めた名うての組合員。本来、労働環境・待遇をめぐって経営者と果敢に交渉するのが労働組合なのだが、このカオスな時代の労働組合となれば話は違ってくる。

 

マフィアと癒着するわ、車に火ぃつけるわ、要するに何でもありのヤクザ集団。巨額の年金資金をラスベガスにぶち込んだりした挙げ句、やっとこさ収監された。

 

1960年代〜80年代は、アメリカにとって激動の時代だった。公民権運動が活発化し、アポロ計画が進行し、冷戦を経て、ケネディが暗殺され、ベトナム戦争は泥沼化、さらにはウォーターゲート事件である。

 

かくも混沌とした時代だからこそ、とかくフィクションの題材になりやすい。

 

そして、その混乱の最中で全米トラック組合のトップに上り詰め、権力をほしいままにしたジミーフォッファは、出所して時代の変化についていけず、裸の王様となって無残な最期を遂げるのだ。

 

凄烈なラスト30分、これがアイリッシュマン

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© 2019 Netflix


 アイリッシュマンがなぜ傑作なのか。


円熟したロバート・デ・ニーロが、その魅力を遺憾なく発揮した点。たしかに。


アル・パチーノが、まるでシェイクスピア悲劇のように、じりじりとうらびれていく様を見られる点。いかにも。


『グッド・フェローズ』では、ネジの外れたギャングを演じ、Fワードを連呼していたジョー・ペシが、従容としたマフィア幹部を演じている点。然もありなん。

 

だけど、アイリッシュマンがこれほど洗練され、同時に重厚なドラマに仕上がっているのは、ラスト30分があるからに他ならない。

 

スコセッシ監督は、栄光よりも破滅を描くことに重きを置いてきた。じっくりと、時間をかけて。まるで、グッド・フェローズでトマトソースを煮込んでいたがごとく、丁寧に時間をかけて描ききる。

 

アイリッシュマンでは、フランクが落ちぶれていく様を、ラスト30分を贅沢に使って見せつける。デニーロファンの中には、その赤裸々な描写に目を覆いたくなった人もいるだろう。かく言う私も、そうだった。こんなに朽ち果てて、老いぼれて、しまいにはナースのお姉さんに昔の写真を見せて過去の栄光に浸る、あの落ちぶれ具合たるや。

 

成人した娘へ会うため、杖をつきながら銀行の窓口に並ぶシーンや、たった一人で自ら入る棺桶を購入するシーンなど、どれもこれも胸を衝く。

 

そして、極めつけが最後の「扉は開けておいてくれ」である。旧友を失い、同業者は殺されるか刑務所行きになり、家族から見放され、1人ぼっちになったフランクが、最後に想いを馳せるのがジミーフォッファだったのである。

 

職と名誉を与えてくれた、それと同時に、自らが殺めたジミーフォッファだけが、耄碌したフランクの唯一の寄る辺だったのだ。

 

なんと儚い物語だろう。

 

自らも歳を重ね、キャリアも重ね、様々な経験を経た今のスコセッシ監督だからこそ描けた「破滅」のかたち。これが、アイリッシュマンの白眉にして、傑作たる最大の因子なのだ。

 

今年ベストは『ジョーカー』だと決め打ちしていた。だが、今ならそれが早とちりだったと認めざるを得ない。

 

なぜなら、今年ベストは断然、断トツでアイリッシュマンに軍配があがるからだ。

 

大成したマーティン・スコセッシ監督の集大成──21世紀の映画史に新たな名作が刻まれた。