Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

ロード・トゥ・パーディション:極微の一瞬、そこにある美

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世間を騒がせているウイルス。まるで往年のパニック映画の様相を呈し始めた今日この頃。サービス業の私にリモートワークなどという贅沢は許されず、今日も今日とてせっせと職場へGoしているのであります。といっても、営業時間は短縮されているので、めちゃくちゃホワイトな労働時間なんですけどね……

 

で、そんな時間を持て余し、ふと再見したくなったのが『ロード・トゥ・パーディション』

 

いやぁ、どういうわけか一年に一回は観直したくなる映画ってあるじゃないですか。『タイタニック』とか『イノセンス』とか……つまり、その人自身の基盤を形作った映画。ボクにとってのそれは先に挙げた2作品なんだけど、今日取り上げる『ロード・トゥ・パーディション』もたまーに見直したくなる映画だったりする。

というか、サム・メンデス監督好きなんですよね。あの芸術とエンタメの均衡が取れた作風。流麗かつ重厚なカメラワーク。舞台畑ならではの鋭い心理描写。『アメリカン・ビューティー』なんて、どこまでもエリア・カザンじゃないですか。朝イチで風呂入りながらマス掻くって、あんたねぇ……この人間的に破綻しながらもせっせと日々を生きている感じ。うん、すごく好き。

 

そんなわけで今日はサム・メンデス作品の中でもダントツで渋い『ロード・トゥ・パーディション』について、言いたいことを言わせてもらう。

以下、大いにネタバレを含むので未見の人は注意してね・ω・ 

 

 

クライマックスの1シーンが象徴する儚さ

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(C)2017 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


えー、これだけ前振りしておいてアレですが、『ロード・トゥ・パーディション』のすべては、老いさらばえたポール・ニューマンが散華するクライマックスのシーンに凝縮されております。そう、この作品の2時間という尺はすべてあのクライマックスのために向けられた壮大な装置と言い換えても過言ではない。

いや、べつに他のシーンが取るに足らないとかディスってるわけじゃないんだぞ。トム・ハンクスが息子と一緒にダイナーで食事するシーンとか、おもむろに車の影から現れるジュード・ロウの怖さとか、色々とあるんだけど、それらの出来映えをすべて吹っ飛ばすくらい、あのクライマックスのシーンが凄すぎるだけなのだ。

 

雨が降った大通り。取り巻きたちに囲まれて車から降りるポール・ニューマン。背はやや湾曲し、その挙動は蹌踉としていて『ハスラー2』のときのような快活さはどこにもない。なにか異変を感じ取るニューマン。はたと足を止め、周囲へ視線を向ける。突如、銃撃——弾丸に貫かれ、次々とくずおれていく取り巻きたち。銃声のした方へ顔を向けると、前方にゆらりと立つ黒い人影。この年代のギャングのマストアイテム、トンプソンマシンガンを構え、泰然たる足取りで近づいてくるトム・ハンクス。

 

このときのトム・ハンクスには、静謐たる殺意があった。ひそやかだが、確固たる輪郭を持った明瞭な殺気があった。まさにカメレオン俳優。これまたボクの大好きな映画『ターミナル』のときに見せたような向日性も、はたまた『フォレスト・ガンプ』のような溌剌さも、このときのトム・ハンクスには欠片も感じられない。いや、むしろ——というか、ただただひたすらに、怖い。みなぎる殺気。厚い忠誠心を裏切られたトム・ハンクスは、父親同然に愛したかつてのボスを容赦なくぶち殺す。

 

うん、渋い。渋いよね。

 

でもって、この一連の映像をスローモーションで見せる演出。これがまた上手いんだな。音も無く、淡々と。カメラは地面を滑るように、なめらかに動く。取り巻きたちが弾丸に倒れていく様子も、事態を悟ったポール・ニューマンが覚悟決めるときの表情も、それらをすべてスローモーションでじっくりと見せる。そしてその一連の映像が美しい。美しいのよ、ホントに。

 

スローモーションの妙

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(C)2017 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

スローモーションとアクションシーンを組み合わせ、「破壊のカタルシス」という一大発明をやってのけたのはこれまた同じ名前の監督、サム・ペキンパーである。『ワイルドパンチ』の導入部分——子どもたちがサソリを取り囲み、何やら剣呑な雰囲気を醸成してからの突然のアクション。

虐殺。砕け散る窓ガラス/嘶き、倒れる馬/逃げ惑う人々/木っ端微塵に吹き飛ぶ家財——それらの破壊をスローモーションによってすくい取り、「美しさ」を付与したという点において、サム・ペキンパーは最高にクールな監督だ。『ブレードランナー』でリドリー・スコットがSFの世界に雨を降らせたのと同じくらいにクール。それほどまでに、映画史的に偉大な発明なのだ。

 

映画のストーリーテリングは、映画というメディアが興隆して間もない20世紀初頭にDWグリフィスが『イントレランス』の中で提示した時点で半ば完成されてしまった。クロスカッティングというこれまた画期的な発明。そして同じ頃、海を挟んだロシアではセルゲイ・M・エイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』の有名なオデッサの階段のシーンでスローモーションの妙を開拓していた。

台詞を排し、純粋に映像のみによってストーリーを語る——その意味において、サイレント映画のこの時期に映画のストーリーテリングの大半が完成されていたのは自然な成り行き、当然の帰着だと言える。

 

最近だと『バードマン』によって映像業界の一大ムーブメントを引き起こした「長回し撮影」——イニャリトゥ&ルベツキという南米コンビによって再開拓されたこの手法は、『バードマン』がオスカーをぶん獲るや否やCMや映画にまで瞬く間に浸透した。だが、「長回し撮影」も『バードマン』から半世紀以上も前に、かの巨匠オーソン・ウェルズが『黒い罠』の冒頭シーンで画期的な演出をしてのけていたわけで。

ともすれば、やはり映画のストーリーテリングというのは、もうあまり進化の余地が残されていないような——あまりにも完成され過ぎていて、あとはキャメロンが『アバター』で試みたような技術的な分野に可能性を見いだすほかないような、そんな後ろ向きMAXなビジョンを抱いてしまうのだ。

 

で、そんな中で『ロード・トゥ・パーディション』はどういう位置に属するのかというと。

 

《スローモーション+アクション=破壊のカタルシス》という構造は同じだが、そこに芸術的な耽美を持ち込んだのはやはり画期的だと思うのだ。そういうわけで、サム・ペキンパーが嚆矢となったスローモーションの演出は、同じサムによってさらに押し進められた。その点において、『ロード・トゥ・パーディション』という一級のギャング映画は映画史の1つのメルクマールなのだ。

 

スローモーション+アクション+美しさ

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(C)2017 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


さてさて、今世紀のフィルムメイカーで「スローモーション」を効果的に取り入れる作風の監督といえば。耽美的な映像美が定評のウォン・カーウェイと新進気鋭の若き天才グザヴィエ・ドラン。あともう一人くらい頭に浮かんだんだけど、さっきトイレ行ったら忘れた……また思い出したらそのうちに書く。(おい)

 

両者ともにスローモーションに「美しさ」を見いだしたフィルムメイカーなんだけど、やはり個性が出る。違いが出る。ウォン・カーウェイといえば、クロサワ的な望遠レンズの使い方とスローモーションのダブルパンチがシグニチャー。大きくボカした背景に幻想的なライティングを施し光彩陸離たる画面をつくりだす。まぁ、ウォン・カーウェイについては、なかなかの頻度でスローモーションが使われるので「もうええわ。お腹いっぱい……」ってなるんだけど……

しかし、そうは言ってもやはりカーウェイ。その時間の切り取り方、映像の見せ方は他の監督とは一線を画す。

 

で、ボクのイチオシ監督、グザヴィエ・ドラン。この若き天才も劇中で観客の感情スイッチを押しにかかるときにスローモーションを使う。『私はロランス』の名シーン。空中を舞う色とりどりの服/服/服——ひらひらと宙を舞うカラフルな衣服をスローモーションで捉える。あのシーンの美しさたるや……


『マミー』でアスペクト比が変転し、それまでスタンダードサイズだった画面枠がぐわーっと押し広がる瞬間のスローモーション。あれのなんと美しいことか。同じ「美しい」でもサム・メンデスのそれと、ドランのそれ、でもってカーウェイのとでは三者三様にベクトルが異なる。全員に共通しているのはただ一つ。「スローモーション」に「美」を——極微の一瞬の中に潜む引き延ばされた美しさを映像に切り取ったという点だ。

 

そして、アクションシーンとスローモーションを組み合わせ、なおかつそこに「美しさ」を見いだしたサム・メンデスは——ひいては『ロード・トゥ・パーディション』という作品は、それだけでもう映画として素晴らしい価値があるのだ。だからね、諸君。あのシーンのためだけに、この映画をもう一度観よう。ようつべでかのシーンだけをハイライトで観てもあの感動は味わえない。最初から——ストーリーの始まり、倉庫での一件を息子が覗き見してしまうあの瞬間からもう一度、観直してみてほしい。

 

なんだよ、『ロード・トゥ・パーディション』の話題だからポール・ニューマンとか、トム・ハンクスとか、はたまた原作者が『子連れ狼』リスペクトしてるとか、そういう話だと思ってたよって人。まぁ、そういうことなのよ。この映画は「スローモーション」の映画なの。そういう撮影裏話とかはWikiを観れば書いてあるし、大手映画サイトのコラムやらで詳説されてるからそっちをご覧あれ。なんだったら、そういう小話系は町山さんの解説が一番詳しいかも。

 

じゃあ、そんな感じで。あとは流れで。(テキトーか、おい)
以上、解散! あでゅー♪~(´ε` )