Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

007 スカイフォール / シリーズの再定義にして最高峰、これぞ映画だ!

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史上最強のヒーローと言われたら誰を思い浮かべる? 幼少期に観たスーパーマン? バリバリ仕事がデキる『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ? うーん、どれもこれもしっくりこない。というか現実感がない。

『ダークナイト』のバットマンならリアリティもあるし、たしかに強い。そんなバットマンもさしもの彼には叶わない。全世界中でその名を知らない者などいない――かのケネディ大統領でさえ個人的にスカウトしたいと言ったあの男には。

そう、地球上に存在する全男子が抱く理想を体現した男。かのジェームズ・ボンドこそ、紛うことなき本物の「現実的なヒーロー」である。

ショーン・コネリーで幕を開け、時代を経てもなお、俳優こそ変われど「ジェームズ・ボンド」という一大ブランドは存続した。そして、今もまだ、かの大ブランドは連綿と続いている。

あのスピルバーグ監督ですら、ボンドに憧れて、どうしてもボンド映画を撮りたくて、自分なりのジェームズ・ボンド=インディー・ジョーンズというキャラクターを生み出した。世代など関係なく、ジェームズ・ボンドというキャラクターは、世界中の男たちを魅了してやまない不滅の存在なのだ。

で、いつものごとく前置きが長くなったけれど、今回取り上げるのは007シリーズ50周年の記念碑にしてボンド映画史上最高傑作──私の生涯ベスト5に入る『007 スカイフォール』である。

 

あのね、本編に入る前にこれだけは言わせてもらいたい。この作品の何がこんなにも魅力的かって、すべて、ですよ。

す・べ・て。そう、全部がもう最高。

もうね、ストーリーとか映像とか、音楽とかアクションとか、そんなディテールだけじゃないの。ぜんぶひっくるめて最高なの

というわけで、いつになく感情的、激情的ではございますが、どうかご容赦を。深夜のテンションで書いているというのも相まって、怒濤の勢いでレビューしちゃいますわよ♡(キャラ変わっとるやないか…)

 

21世紀アクション映画のデファクトスタンダード

 

ボンドを一般化するという画期的な発明

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

『007 スカイフォール』──この作品は決して誇張ではなく、21世紀のアクション映画の趨勢を変えたと私は思っている。いうなれば、ハリウッド製アクション映画におけるパラダイムシフト。

天変地異ですよ、これはもはや。

映画が始まって最初のショット。ほのかな明かりを背に、ゆっくりと歩み寄ってくる人影――あえて焦点をずらしたそのショットに、人影が切迫してピントが合ったと思った次の瞬間、ワルサーPPKの銃口を泳がせるボンドの姿が。しかも、作為的にも目の部分だけ光が当たっているというキザな演出。

この殺し文句めいたショットで、往年のファンも、ダニエル・クレイグ世代からファンになった新規層も、分け隔てなくハートを射止められるわけですよ。少なくとも、私のハートはイチコロでしたよ

そして、見事にハートをぶち抜かれたあとに待っているのは、ストーリー導入部分のお手本のような目くるめくアクションシーン。走る、撃つ、叫ぶ、破壊する――粉砕し、爆散し、蹂躙する。これぞ破壊のカタルシス。これぞエンターテイメント。

市場で雑兵の駆るバイクがカメラに迫ってくるショット。この次の編集部分とか、もはや神。予告編でも使われていたショベルカーで列車を破壊して、それから華麗な着地をきめてネクタイを直す仕草とか。

なんだよこれ、ダニエル・ファンを悶死させようとか、そういう企図なのか? そうなのか?

上下を覆うトム・フォードのセットはまさに現代の鎧。左腕に光るオメガは、あきらかに戦闘には無用だが紳士には欠かせないマストアイテム。そして、愛用のワルサーPPKは今やボンドの代名詞へと昇華した。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

 

これだけ言葉を並べてもまだ賞賛し足りない『スカイフォール』
この作品が従来のボンド映画と何が違うのか。

それは世界中の全男性のイコンたるジェームズ・ボンドを一般化したところにある。

ジェイムズ・ボンドというのはアマゾン、ネット府リックス、アップルと並ぶ一大ブランドである。リュミエール兄弟によって映画史が開闢して一世紀ばかり。半世紀以上も連綿と続く映画シリーズは、007シリーズだけである。なぜ、これほどまでにボンドは人気なのか?

バリバリ仕事して、悪役と闘って、ちゃっかり美女と一夜を共にする。およそ男子が考えつく限りの放蕩ぶりをやらかすボンドは、古今東西の男子の理想を体現した存在だからだ。

20世紀前半、世界中の男性をとりこにしたハンフリー・ボガードしかり。探偵映画が一時期あれほど隆盛したのは、探偵という特殊な仕事が、昼間っから酒を飲んで、ちゃっかり依頼人の美女を手にする放埒ぶりをしでかしてもお咎め無しだからである。そして世の健全なる男性諸氏は、そんな生き様に憧れたのだ。

 

理想の具現化。その最高峰たるジェームズ・ボンド。

その聖像を、しかし『スカイフォール』は容赦なく斬り捨てた

 

冒頭、Mの命令によってやむなく狙撃したマネーペニー。だが、銃弾はテロリストを避け、あろうことかボンドの左肩にぶっ刺さる。あっけなく滝を落下していくボンド。渓流に流され、水気を吸ったスーツの重みで身体が沈み始めたとき……アデルのテーマソングが挿入される。

なんだよこのオープニング。神かよ……いや、神だな。今まで観てきた映画のオープニングの中でも指折りのお気に入りだわ。

つまり、『スカイフォール』が画期的だったのは、これまで聖人扱いだった――我々凡人には手の届かない、雲の上の存在だった――ボンドを、一般人のレベルにまで堕落させた点にある。これは偉大な発明なのだ。かつて『ブレードランナー』でSF空間に猥雑としたアジアンテイストの町並みを持ち込み、あろうことか、そこへ雨を降らせたリドリー・スコットと同じくらいの偉大な発明。

 

『スカイフォール』で、ジェームズ・ボンドは私たちのレベルには堕ちてきたのだ。ウェルカム、007。我々凡人の世界へ。

 

凋落したボンドが復活するお話

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

冒頭であっけらかんと狙撃されたボンド。絶海の孤島で溜まりに溜まった有給を消化する日々が続く。深酒し、美女とたわむれ、まさに蕩尽の日々である。いつの間にやら髭は伸び放題、頑健な体躯はアルコールですっかり落ちぶれ、まさに一般人たる我々と同レベルにまで堕ちた。

そんな折、テレビのニュースで愛しきマイホームMI6が襲撃を受けたという一報が流れる。「まぁ、俺はもうあそこの人間じゃないし……」とか言うわけでもなく、ただひたすらに自らの――王室とMI6への忠誠心から帰還を決意。

Mの私室で待ち伏せし、「007、ただいま帰りました」とかクールにキメるも、電気をつけて現れたのはすっかり凋落しきった諜報員くずれの男ではないか。それを見たMの塩対応っぷりたるや。

ここからはひたすらに研鑽努力。復帰テストでタナーの前では気丈に振る舞うも、一人になった瞬間へたり込んでしまうシーンはマジで泣ける。この尊厳こそ英国人の鑑ですよ。ホンマに。キングスマンのハリーもびっくりなほどの紳士。これぞジェームズ・ボンド。


まぁ、冗談はさておきとして……

 

スカイフォールは全体的に静かなトーンで進行する。だが、静かながらもその勢いたるや、長島スパーランドのジェットコースターのごとしである。冒頭の時点で、すでに落ちぶれたボンドは、ストーリーの中盤から終盤にかけて少しずつ上昇していくのだ。グラフで言うと、最初で一気に下降したのち緩やかに上昇し続けるイメージ。

そう、スカイフォールは007の節目たる50周年記念作品というだけではない。これは『転落と再生』の物語なのだ。『ダークナイト ライジング』で死をも恐れないブルース・ウェインが、再び穴に堕ち、這い上がる――あれと同じ構造なのである。

そして、エンタメ映画の常識として、「前半でフラストレーションの溜まる映画ほど、ラストが面白い』のだ。「あぁ、もう……」とか「うわ、ちょっとマジかよおまえ……」って毒づく方が、そのストレスが解消されたときのカタルシスもひとしお。

で、結局なにが言いたいかというと、やっぱ『スカイフォール』は最高だということ。

 

シンプルだが重厚なストーリー

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

『スカイフォール』のストーリーはシンプルだ。かつての諜報員がMに対して妄執的な復讐劇を繰り広げる。それを阻止する007。だが、このシンプルさとはアップル製品における十全たる簡素さのことであって、ただ「単純なだけ」という意味ではまったくない。

シンプル=削ぎ落とされた=ミニマル――これは、大量にあった選択肢を吟味し、精査したのちに削ぎ落とした結果残された、凝集されたエッセンスなのだ。一見、シンプルに見えるその裏側には、そのじつ膨大な情報量がすり込まれている。

 

逆に言えば、スカイフォールのストーリーはサスペンスの形態をとりながら、驚くほど説明が少ないのだ。


突然、お上から呼び出しがかかるM。そこで登場するマローンなるインテリ派。とりあえず00セクションが解体されるかもしれないということは説明される。でも、それをくどくどと押し問答で見せることはない。テニスンの詩を引用して、あっさりと――もとい、力尽くで終わらせる。

今作のヴィラン、ハビエル・バルデム演じる怪物シルヴァも、その過去やMとの関係は必要最低限しか明かされない。シルヴァの計画も、くどくど説明することなく映像で見せる。アクションで語る。まさに寡黙にして行動派なボンドそのもの。

 

この潔さとシンプルさが、スカイフォールのストーリーを引き締める。

 

これまた『スカイフォール』で初登場ながら、その圧倒的存在感で世界中の女性ファンの心を射止めたQ。彼が大英博物館でボンドに手渡す武器が、スカイフォールのすべてを象徴している。

指紋認証付きのワルサーPPKと無線。従来の機能過剰だったガジェット群を真っ向から否定するかのような、目を見張るほどのシンプルさ。この簡潔にしてエレガントなチョイスこそ、スカイフォールが体現せんとした新しいボンド像なのだ。

 

シンプルにして上質――21世紀の007は煙草を吸わない。かつて、ロジャー・ムーアが劇中で使っていた銀色の煙草ケースを真似て、よく似た安物を買った身としては残念だけれど、この一切の余剰を削ぎ落としたシンプルさと奥深さこそ、新生007の真骨頂なのだ。

 

圧倒的な映像美とカラーグレーディング

 

007シリーズの中で(当時)ゆいいつアカデミー賞にノミネートされたのが本作『スカイフォール』である。ゴリゴリのエンタメ指向作品を毛嫌いするアカデミー賞には珍しく、エンタメ映画の王道たる007シリーズが堂々とノミネート。

まぁ、これもなるべくしてなったというか、当然のような気もする。

というのも、『スカイフォール』は007シリーズというエンタメの皮を被ったアート映画だからだ。アクション映画でありながら、全体的に静的なトーンで満たされた、言うなればエンタメ映画のプラチナライン。

 

そもそも、映像が美しすぎる!

 

カラーグレーディングをふんだんに使った映像美は、撮影監督のロジャー・ディーキンスの職人技的カメラワークとあいまって、観る者の度肝を抜くのだ。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


たとえば、香港ロケの幻想的なライティング。やや過剰なほど強調されたカラーと光は、空港から都市内部へと向かう道中からシーンの最後にいたるまで、ずっと続く。なかでも、ボンドが冒頭のシーンで逃した男と高層ビルで再び相まみえるシーンは圧巻の美しさ。鏡を使ったシンメトリーな構図。そしてビル壁面に設置された炯々たる宣伝光。くらげが漂い、宣伝光がぷつりと消えた刹那――二人の闘いが始まる。

めちゃくそクール! マジで美しい。

真っ暗闇のさなか、男が狙撃銃を撃ち、その銃火で二人の様子がちらりと見える。なんて舞台的な演出なんだろう。めちゃくちゃ綺麗。このシーンだけで、私的アカデミー賞撮影賞ノミネートは必定ですよ。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


そして続くマカオのシーンでは、ゴッドファーザーやノーカントリー的な橙色のトーンで映像が統一されている。ほんのり穏やかな気配が漂う映像。そこで交わされるボンドガールとの軽妙洒脱な掛け合い。このオサレ感こそボンド映画ですよ! 誰もが憧れ、しかし実現は決してできない理想の姿。それを耽美に魅せるカラーグレーディング処理の映像美。もはや非の打ち所がなさすぎて心配になるほどの完成度。


で、その完成度が最高潮に高まるのは、なんといってもスカイフォールでの対決シーン。シルヴァが総力をあげてMを襲撃し、それをボンドが懸命に守る。

ここでの映像が、これまた美しいんだな。

シルヴァが乗る戦闘ヘリがやってきたとき、宵闇が迫る周囲はほんのりとした暗さで包まれている。そして、アクションシーンが進行するにしたがって、周囲には完全なる暗闇が降り、戦闘ヘリの燦爛たる光芒が唯一の光源となる。さらにシーンが進むと、ヘリが屋敷に頭から突っ込み盛大に爆発を起こす。家が燃え上がると、今度はこの火焔が光源に取って代わる。

まったき暗闇をやんわりと包み込む紅い光。草原のさなかを走るボンドの背後は、ほんのりと紅く染まっている。

このコントラストの効いた映像。ホント息を呑むほど美しい

このシーンを拝むためだけにスカイフォールを観る価値は十分にあると断言する。いやぁ、ほんとうに綺麗だもんなぁ。やっぱロジャー・ディーキンスすげぇわ。でもって、やっぱこの作品は単なるアクション映画じゃないわ。完全なるアート映画だったわ。

 

クセの塊、ハビエル・バルデム!!!

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

007シリーズでは、ジェームズ・ボンドの前に様々な悪役たちが立ちはだかる。その多彩ぶりたるや、悪役たちのバーゲンセールかと思うほどの勢いだ。20世紀版のスペクター、その長たるブロフェルドもなかなか怪しい魅力をたたえたキャラクターだった。そして、ダニエル・クレイグ版の一作目にあたる、これまた名作の『007 カジノ・ロワイヤル』では、泣く子も黙る北欧の至宝マッツ・ミケルセンが登場する豪華絢爛ぶり。

で、本作のヴィランにして強敵シルヴァを演じるのは、怪演をすれば右に出る者がいないハビエル・バルデム。コーエン兄弟の傑作『ノーカントリー』で、ガス缶を携えたパッツンヘアの狂人を演じたあの人である。

(余談だが、これも撮影監督はスカイフォールと同じロジャー・ディーキンス。カラーグレーディングの美しい映像美が堪能できる)

 

21世紀の悪役像を根底から覆してみせたのは、間違いなく『ダークナイト』のジョーカーだが、一筋縄ではいかない悪役という点では、本作のシルヴァも負けてはいない。執拗にMの尻を追いかけ回し、挙げ句の果てにはMを拉致って愛の逃避行を決め込む始末……

 

なんやコイツ……マザコンか……

 

ちなみに、ボンドの活躍とQの画期的な新発明「無線」によってシルヴァをとっ捕まえた後のシーンで、シルヴァがMに対して「母さん……」というのは戸田奈津子氏の誤訳である。知らない人のために説明しておくと、これはいわゆる「なっち語」に分類されるものなので、スルーしてOK牧場。

つまり、ツッコんだら負けというやつである。

誤解の無いように必死に言い訳しておくとすれば、私はなっち語のファンなのであって、決して嫌いなわけではない。『007 カジノ・ロワイヤル』でマッツ・ミケルセンにボンドが拷問されるシーンの訳文なんて、もはやジオン十字勲章ものだと思ってる。

「おまえは俺のタマを掻きながらおっ死ぬんだ!」

タマを攻められすぎて、ボンドが半狂乱になりながら叫ぶこの台詞。なかなか出てこないよ、これは。まぁ、とどのつまり、英語の悪口雑言を訳すと、戸田奈津子ゴッドマザーには誰も敵わないという結論に至るわけなである。

プッシー野郎! おフェラ野郎! ややや、ケッタイな……誰か真剣に、なっち語録を編纂してくれないかな(切実)

 

ボンド50周年記念作品=新旧交代

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

スカイフォールは007シリーズ50周年を祝した記念碑的な作品である。そして、本作のテーマは世代交代。古いものを排し、新たな風を招き入れる。したがって、作中ではモダンとアンティーク・新と旧がそこここに散りばめられている。

 

その根幹にあるのが、007シリーズの再定義である。

 

そもそも、ジェームズ・ボンドというキャラクター、ひいては00セクションは冷戦下に生まれた設定だ。だが、時は21世紀。冷戦は終結し、ソ連は崩壊し、ベルリンの壁は崩壊して久しい。シリーズを重ねるごとに娯楽要素という名のファンタジー要素をますます強めていった007は、ピアース・ブロスナン最後の作品「ダイ・アナザー・デイ」で頂点に達する。

 

氷の城て……ツッコミどころ満載すぎて、どっからツッコんだらいいかわからへんわ。ホンマに。


あ、ピアース・ファンに刺されるのが怖いからエクスキューズしておくと、歴代ボンド作品の中でも「ワールド・イズ・イナフ」はかなり上位にランクインするほどお気に入りです。はい……だから、刺さないでお願い……


冗談はよし子ちゃんとして、スカイフォールに話を戻すと……


ダニエル・クレイグ版と旧来の作品との決定的な違いは、リアル志向という点にある。たしかにリアリティあるけど、話がぶっ飛びすぎてる「慰めの報酬」は黒歴史だから忘れてやってくれたまえ。ガンダムシリーズにおけるGガンダムみたいな位置づけだと思えばいい。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


冷戦が終結し、007とMI6には公然たる敵(オーヴァート・エネミー)が存在しなくなった。プレイボーイを演じながらも、ちゃっかり仕事もしちゃうのが007。まかり間違っても、ただ酒を飲んで美女と懇ろになってるだけだったら、そいつはジェームズ・ボンドではない。慰めの報酬ではなく、気休めの報酬の方だ。そいつは。

 

そこで、50周年記念作品を007シリーズを再定義するための分水嶺にしたのである。今作が最後となったMが、公聴会でふるう弁舌はその証左であると同時に、現代の世界情勢が抱える恐怖をいみじくも言い表した明言だ。

 

かつて私たち諜報機関の相手は、姿形のある国家だった。だが、今や敵は姿を見せず、どこから襲ってくるかもわからない。そんな連中を相手に、いったい誰が立ち向かうのか。00セクションを排斥する前に、今一度それを考えるべきだ。

 

テニスンの詩を引用し、00セクションの必要性を懸命に訴えるM。

もうね、スカイフォールにおけるMのヒロイン感がはんぱない

それはさておき……


明らかにイスラム系過激派を筆頭とするテロリストを示唆したこの名台詞によって、007シリーズの公然の敵は再定義された。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

 

007シリーズの再定義はこれだけにとどまらない。Mの交代・ファン待望のQの復活・まさかの伏兵マネーペニー。従来のキャラクターたちも、本作ですっかり刷新される。前述のとおり、Qがボンドに渡す武器がその象徴だ。ギミック満載、夢とロマンをありったけ詰め込んだガジェットは21世紀のボンドにはふさわしくない。シンプルかつエレガント――これこそ、新生007の目指す路線なのだと、スカイフォールは声高に主張してみせる。

 

モダンとアンティークの対比は小物やロケーションにも見受けられる。マカオのカジノに潜入したボンドが、その夜マネーペニーに髭を剃ってもらう妖艶なシーン。そこで使われるのが、これまたアンティークなカミソリ。

この直後、長崎の軍艦島をモデルにしたセットで繰り広げられる「マッカランを撃てゲーム」。シルヴァの愛人が拘束された状態で、頭上に50年もののマッカランを据えられるあの戦々恐々たるシーンである。年代物(アンティーク)のシングルモルトというチョイスも乙だけれど、ここで注目したいのはゲームで使われる古風な銃。それとは一変して、シルヴァのアジトはサーバーやらモニターやら、なんともモダンでテックな香りがかぐわしい。このコントラストが、スカイフォールの魅力を引き立てる。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


そして、議事堂を襲撃したシルヴァから逃れるべく、Mと愛の逃避行へ繰り出すボンド。そこで登場するのが往年のボンドカー、アストンマーチン。しかも、ここで流れるBGMが初代ボンドの――つまり、アレンジされていない――テーマ曲という憎い演出。乗り心地を尋ねられたMが、「シートが固いわね」とか言うのもこれまた憎い。シートが飛び出すガジェットのボタンもしっかり再現されていて、往年のボンドファンにはたまらないシーンとなった。かくして、ボンドが向かった先はスカイフォール。自らの過去――消し去ったプライベートな場所で宿敵シルヴァを迎え撃とうというわけだ。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.


モダンなロケーションだったロンドン・香港から一転し、イングランド北部の峻厳たる自然で本作はクライマックスに突入する。ボンドとM、家の親父の三人が強力して仕掛ける古風なトラップ。そして、ボンドが使うのは家紋の入った古いショットガン。対するシルヴァは、地獄の黙示録顔負けの戦闘ヘリで堂々登場を果たす。

だが、ド派手なアクションに目移りしている場合じゃない。というのも、冒頭で精神科医が口にしたスカイフォール。この言葉自体には裏の意味があるわけではなく、ただ単に最強無敵の諜報員のただ1つの弱点なのである。幼くして両親を亡くし、一切の過去を抹消して得た殺しのライセンス。そして、私たちがこれまで見てきたのはそんな彼の輝ける一面でしかなかったのだ。

殺しのライセンスを得る前、陰鬱だったであろう幼少期がちらりと垣間見えるのがスカイフォールというボンドにとって特別な土地なのだ。猟銃の銃身をノコギリで断ち切るシーンでは、どこか表情に蔭のあったボンド。だが、盛大な爆発でかつての生家を吹っ飛ばすときには、「こんな家……」と自虐的に鼻で笑ってみせる。ずっと心の奥で引きずっていたトラウマと決別した瞬間――それをやってのける強さを持った男、それがジェームズ・ボンドなのである。

 

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

 

これぞスカイフォールの真骨頂ですよ!

世代交代、新旧相食む異色の世界観。かつての軽快・痛快・愉快なエンタメアクション映画とは劃然たる違いを見せつける。

でもって、せっかく登場させた往年のボンドカーを盛大にぶっ壊し、ボンドの生家であるスカイフォールも容赦なく爆砕する。これは、赫々たる世代交代の宣言に等しい。

今までのボンドと同じだと思うなよ。これからのボンドはひと味違うんだぜ。と言わんばかりの決意表明。このシンプルにして強力なテーマ性とメッセージ性を、私は高く評価したい。何度も言っているけど、これは単なる娯楽アクション映画とは違うのよ。


スカイフォールという名のアート映画。ボンド映画の歴史に、堂々たる節目を刻印する記念碑にして里程標のような作品なのだ。

 

劇中でMが引用するテニスンの詩をここでも引用しておく。情緒豊かながら、激越なエネルギーを感じさせるこの耽美な詩に合わせてシルヴァが議事堂を襲撃するシーンはまさに圧巻。何度観ても、このシーンで全身が総毛立つ。

 

かつて天と地を動かした あの強さを我々は失った。
だが英雄的な心は 今も変わらずに持っている。
時代と運命に翻弄され弱くはなったが 意志は強く、戦い、求め、見出し、決して屈服することはない

 

 

ジェームズ・ボンドというブランド

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Skyfall (C) 2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

 

「My name's Bond. James Bond.」
世界の映画名台詞番付でもランク入りするこの決め台詞。バットマンが律儀にも悪役に名乗る台詞「I'm batman」と同じくらいシンプルな台詞ながら、世界中でこの台詞を聴いたことのない人などほとんどいない。(知らんけど……)

よしんば、この台詞を知らなかったとしても、銃のライフリングの中に現れる人影を知らない人などほとんどいないはず。

マクドナルドのロゴは誰もが知っている。ハッピーセットに釣られてマックへゴーな小学生でも知っている。もし、街中のビル看板でリンゴのマークを見れば、誰もがアップルを連想する。このすり込まれたイメージこそ、ブランドのなせる業である。

ともすれば、ライフリングと人影を見て多くの人が007を連想できるということは、ジェームズ・ボンドという架空の人物はアップルやマクドナルドに匹敵するほどの影響力を持った一大ブランドだと言える。

それを裏付ける出来事としては、ダニエル・クレイグが女王陛下(リアルの)をエスコートしたニュースがあげられる。映画の中でユニオンフラッグに忠誠を誓ったボンド俳優が、現実世界でもそれを演じる。フィクションがリアルに影響を与えることはしばしばあれど、その対象が英国王室となると話が違ってくる。

 

イアン・フレミングが生み出し、ショーン・コネリーが原型を創ったジェームズ・ボンドは、今や世界に冠たる一大ブランドの地歩を築き上げた。

 

これまで多くの俳優が、自らのキャリアイメージを犠牲にしてかの優男を演じてきた。そして今、ダニエル・クレイグが何度も引退宣言をしながらもファンの熱いエールに応えてボンド役を続投している。これからも、様々な俳優がジェームズ・ボンドを演じていくことだろう。そして、007シリーズはこれからも途絶えることなく延々と作品数を増やしていくに違いない。時代の趨勢を素早く取り込み、形を変えて、人々につかの間の夢を見させてくれる。そんな一大ブランドたるジェームズ・ボンドにありったけの感謝と敬意を表して、結びとさせていただく。

 

James Bond Will Return.......