Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

攻殻機動隊SAC_2045:SACシリーズはここに再誕する

攻殻機動隊SAC_2045

 

* この記事は容赦なくネタバレをかましていくスタンスです。未見の方は絶対に読まないように。


** この記事は無駄に長いです。実用書を読むとき、当人にとって必要な情報は全ページの3%程度だそうです。そういうわけで、この記事も必要なところだけすっ飛ばして読んでください。遠慮なく、仮借なく、すっ飛ばしてください。

 

 

 

満を持して全世界同時公開となったネットフリックス製作『攻殻機動隊SAC_2045

字面だけ見てると『ブレードランナー 2049』とこんがらがりそうになる。ちなみに、本作の神山健治・荒牧伸志 両監督はネットフリックス製作の『ブレードランナー 2049』のスピンオフアニメも手がけているらしい。というか、製作中らしい。

 

日本が誇るSFサイバーパンクの金字塔、攻殻機動隊。士郎正宗氏による原作が発表されたのが1989年。それから6年後の95年──天才・鬼才にしてゴッド・オブ・フィルムメイカー、押井守監督によって劇場映画化。

ゴリゴリのサイバーパンク世界に、ニューヨーク的な雑然とした都会の雰囲気とアジアンテイストを盛り込むという大発明を成し遂げ、本作を観て腰を抜かしたウォシャウスキー姉妹(当時は兄弟)が実質的な実写版『攻殻』とも言える『マトリックス』を完成させ、二番煎じにも関わらず本家を差し置いて世界中で大ヒットを記録したのが1999年。(とはいえ、『マトリックス』は紛れもない名作だ。1作目だけだけど……)

 

そして2002年から始まったTVシリーズ『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』
押井守監督の愛弟子(ご本人は影武者だと言い張ってらっしゃるけれど)神山健治監督によって装い新たにスタートした攻殻機動隊は、当時中坊だったボクの頭に迫撃砲のような衝撃を与えた。社会性と文学性という、一般的なアニメでは類をみないストーリー展開。濃厚なテーマを扱うメインストーリーはもちろん、その間に差し挟まれる多彩なサブストーリー。

『個と並列化』『情報社会』『医療問題』『難民問題』『日米安保』『高齢化社会』──普遍的かつ今日的なテーマ。そして、シリーズが放送終了してのち、現実世界はまるで神山健治監督によって語られてきた攻殻機動隊の世界を追走するかのような動きをみせた。

 

押井守監督が劇場版で描いた『人形遣い』──その人形遣いを神山監督の解釈で再構築した『傀儡回し』はSACシリーズの総決算のような趣きがあった。それゆえに、ぶっちゃけた話、SSSから11年が経過した今になって再びSACシリーズをリブートすると報道されたとき、一抹の不安がよぎった。

 

いや、もちろん神山健治監督のことは大好きだし、監督の著書『映画は、撮ったことはない』は学校の授業中に読んでいて担任に接収されたから2冊目を買って、なんだったらその後もう1冊買ったくらいに読んだ。それでもなお、不安があった。95年版の劇場版を皮切りに、SACシリーズ、そして黄瀬さん&冲方丁さんというボク得感MAXな攻殻機動隊ARISEと、攻殻機動隊は十全すぎるほどに完成されたユニバースを形成してしまった。そんなふうに感じていたからだ。

 

いうなれば、二十数作を積み重ねて築き上げてきたマーベルシリーズ。その集大成たるエンドゲームが終わってのち、更なる続編を製作するような感じ。まぁ、思春期に攻殻機動隊を観てアニメの洗礼を受けたボクとしては、あーだこーだ言いながらもハナから観るつもりだったんですけどね。

 

でもって、ようやく公開されたヴィジュアルを見たらまさかのCG!

おぉマジか……そう来たか……いやむしろ自然か……みたいな数秒の自己問答があってからようやく受け入れたんだけれど、やはりファーストインプレッションは少なからず違和感を覚えた。

だからこそ更に不安だったのよ……

ネトフリで公開される日はToDo管理アプリでリマインダーかけるほど一日千秋の思いで待ち望んでいたんだけれど、やっぱり不安だったのよ……

10年以上前に神山監督のSACシリーズで受けた衝撃を再び味わえるのか否か。もしこれで肩透かし食らったらどうしよう……仕事中、ボクの脳裏を掠めたのはそんな不安(いや、仕事しろ。仕事)

 

で、満を持して全世界に公開された新作。観たんですが──

 

まったくもって杞憂でした。いやすげぇマジですげぇ。
今年に入ってから、映像作品観て一番興奮した。いやマジで。それくらい面白かった。

 

風呂に入って心身を清め、缶ビールと煙草を片手に(いや両手か)視聴開始したボクの興奮ぶりは以下のとおり。

 

 

先進的な動きに対して、一定の反発もあがるであろうことは予想していたけれど、Twitterで感想を見ている限りでは概ね高評価。Imdbでのスコアが少々低いのが気になるけれど、まだ母数が少ないから、時間が経てばスコア8くらいにはなるだろ。だって神山監督だもん。

 

公開から24時間と経たずに見終えてしまったわけですが、ネトフリさんシーズン2の配信っていつなんすかね……? これじゃあ蛇の生殺しってやつだと思うんですが……

 

というわけで、そろそろ本題へ。

 

再加速する攻殻ワールド

 

ネットフリックス製作ということは、つまり全世界に向けて配信。しかも攻殻機動隊というブランドもある。そういった建前があったからか、複雑なストーリー展開とゴリゴリの社会派テイストが顕著だったTV版と比べてアクションシーンの多いエンタメ作品に仕上がっている。あと素子かわいい

 

キャラクターデザインを手がけたのは、ロシア人のイラストレーター、イリヤ・クブシノブさん。今まで全然知らなかったんだけど、インスタではかなりの有名人なのね。インスタはリアルが充実してる陽キャの独壇場だと思ってるギークなボクは、Twitterの方でさっそくフォローしといた。

 

最初の劇場版からずっと追いかけてきた古参のファンも、2045で初めて攻殻機動隊の世界に触れた人も、ひとしく楽しめる間口の広い設計。前半はしっかりとエンタメしつつ、後半にかけて徐々に事件が加速していくという構成になっている。

 

あと素子かわいい


既存ファンのハートをしっかり掴みつつ、新規ファンを獲得しようという試み。これはなかなか狙い通りの効果を発揮したんじゃないのか。Twitterで感想見た限りだとそんな気がする。公開直前になって、Hush-Hushで以前に書いた2ndGIGの記事へのアクセス数が、やおら倍増したのも既存ファンがもう一度SACシリーズを観直したのと、2045にあわせてネトフリで新たに観た人がいたという2つの要因によるものではないのかと愚考する次第。

 

どうしても攻殻機動隊がテーマだとグダグダと書いてしまうな……まぁ赦せ(おい)

 

本題に入ると言っておきながら一向にそんな気配がないから、そろそろしびれを切らしているであろうそこの貴方。今度こそ本題に入るけど、その前に一言だけ言わせてくれ。

 

素子かわいい

 

刷新された映像美

攻殻機動隊SAC_2045

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

再び動き出した攻殻機動隊シリーズ。これまでの作品と決定的に異なるのは、その映像面だ。フル3DCGアニメーション。ヴィジュアルが解禁されたときは正直、驚きと共に戸惑いも感じた。その違和感があったので、あえて予告編は観なかった。なんだか、これまで抱いてきたイメージが崩れてしまうような気がして怖かった。
でも、そんな不安は第一話の戦闘シーンを観たら灰燼のごとく吹っ飛んだ。

 

いや、これは凄い。マジで凄い。

 

きちんと輪郭線があって、立体的なんだけれども手描きの感覚も確かにそこにあるというか。質感やライティングのそれは実写的なんだけれど、ある程度抑制された表情のつくり方とか、全景で捉えたときのルックなんかは確かに手描きのニュアンスそのもの。そこへモーションキャプチャーによる実写的な動きが加わると、アニメと実写が見事に融合した斬新なヴィジュアルが生まれるわけだ。

神山健治監督による3DCGアニメーション『009 Re:Cybog』でも同様のアプローチはとられていたけれど、あの時と今では同じ3DCGでもまったく別物になっている。動きが違う。質感も、背景とキャラクターの整合性も、ライティングも、オブジェクトの重量感も。全部が違うのよ。

 

このCGルックには抵抗を感じる人もけっこういるみたいだけど、ボクにはいっちょんわからん。(青ブタ)

 

比較的、1つの台詞に込められた情報量が多くなりがちな神山監督のSACシリーズにおいて、会話シーンはストーリーに緩急をつける小休止的な役割を果たしていた。作画的な都合から、会話シーンで実写並の身振り手振りをいれるわけにもいかず……(というか、そんなことするのは昔のディズニーとAKIRAくらいだ)

まぁ、ぶっちゃけた話が、会話シーンはかなり静的だった。仕方ないんだけどね。というか、台詞に込められた情報量が多すぎて、絵のほうに意識を持っていく余裕が生まれるのはシリーズを2周したあたりからだ。

 

で、その静的なダイアローグシーンがCG化されるとどうなったか。

実写っぽい!

 

再結成した9課のメンバーがブリーフィングを行うシーン。情報を吟味し、思案する少佐の表情やその機微といった細かい描写がちゃんと見える。バトーさんの巨体が重心をずらして立っているのがちゃんとわかる。見える。一見すると、全員が静止しているトメのショットでも、ちゃんと実写っぽく収まっている。でも、その実写っぽさを過剰にし過ぎずに、きちんとアニメの範疇に留めているという絶妙なバランス具合。これは凄い。いや、凄いだろ。

 

キャメロン製作、ロバート・ロドリゲス監督の『アリータ:バトル・エンジェル』で実写とアニメの境界線が限りなく曖昧になったなぁとか衝撃を受けたけど、これはその逆──アニメの方が実写へと歩み寄ったパラダイムシフト。天変地異。

 

あと、全編を通して目についたのが主観ショット。適宜インサートされるPOVの映像は、手描きのアニメーションでは到底実現できなかった没入感を与えてくれる。大脳の半分が吹っ飛んだ状態で拘束されていた米国の元軍人にしてポスト・ヒューマン。彼の過去が語られるシーンでは、妻の最期が主観ショットになっている。ボクサーの男が拳撃で頭部を木っ端微塵にするシーンも主観ショットになっていることで、凄惨さが増している。

 

今作では大幅にサイズが変更され、全天候型のディスプレイを採用したタチコマのアクションシーン──前半部分の対戦車戦では、実写映画顔負けの迫力でもって怒濤のアクションが繰り広げられる。

 

アクションに関しては、やはりモーションキャプチャという制約があるためか、劇場版で戦車のハッチをこじ開けて少佐の腕が引き裂かれる描写とか、SACで麻取のアームスーツに少佐が踏み拉かれる描写といったサイボーグ感を感じさせるアクションは今のところ見られなかった。とはいえ、ストーリーはまだ残り半分あるのでクライマックスのアクションシーンではお目にかかれる可能性もある。というか、見てみたいなぁ……(切望)

 

そして3DCG化したことで、よりSF感が増したのが電脳の描写だ。マッドマックス的世界観を放つ米国西海岸のスラムで、少佐がリンゴを手に持つとき浮かび上がるタグや広告といったAR情報。トグサくんが歓楽街へ乗り込むとき、そこに浮かび上がるのは絢爛たるデジタルサイネージの嵐。課長の命令で少佐たちを追って渡米したトグサくんが、監視カメラの記録映像から痕跡を辿るシーンでは、観客はトグサくんの視点と同化して電脳を駆使した捜査を追体験する。

 

攻殻機動隊SAC_2045

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

そして何よりも変化が著しいのは、現実から電脳世界へのシームレスな切り替わりと電脳空間におけるブリーフィングの描写だ。縦横無尽に駆け巡るカメラワーク。現実をトレースした各人の姿勢・体勢。車座になった9課のメンバーのアバターが重なっている表現もCGならでは。個人の電脳に潜る描写やら、攻性防壁がハッキングを弾く様子やらもCG化したことで真に迫って感じられる。

 

フル3DCG礼賛。こいつぁすげぇや。これまで、フル3DCGのアニメーションにはなんとなく抵抗があったけど、これなら全然いける。万事OK牧場。

 

ポリゴンっぽいとか、ゲーム感すごいとかいった意見もあるみたいだけど、ボクの中では今まで観てきた3DCGのアニメ作品の中でも屈指の映像美だと思うんだけど……

 

とはいえ、インタビュー記事なんかを読んでいると、CGにはCGなりの、手描きとはまた違った意味での制約が色々とあるようで。神山監督の言によれば、CGアニメ化したことで仕事量は倍増したのだとか。

 

新キャラクター

攻殻機動隊SAC_2045

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

本作から新たに加わったキャラクター達。その中でもとりわけ注目を集めるのが江崎プリン。タチコマとの掛け合い。なぜかバトーさんにぞっこん。というか、半分ストーカーじみてる……

 

前作でいうところのプロト君的なポジション。けど、バイオロイドだったプロト君とは違い、どうやらプリンちゃんは高学歴を誇る人間らしい。

 

というか、この明らかに『江崎グリコ』と『プッチンプリン』をミックスした名前は何やねん……CG化してイケメンになったトグサくん。なぜか若返ったイシカワ。その二人を差し置いて、ツッコミ所しかない。なんや、プリンとかいうふざけた名前は……しかも、けっこうええキャラしとるやないか。まぁ、可愛いから全然いいんだけどさ。

 

で、NSAのエージェントにして傲岸不遜で鼻持ちならない男。その名もジョン・スミス。サングラスをかけたその出で立ちは、どこからどう見ても『マトリックス』のエージェント・スミス。かと思いきや、舞台が日本に移った途端、インテリ感のある眼鏡をかけ始めてビックリ。公式サイトのイラストだと、鼻筋の左側にあったはずのホクロが消えてるんだよなぁ。これは何かの伏線なのかしら?

 

というか、見事にポスト・ヒューマンに出し抜かれて施設の基幹システムを掌握されたときの狼狽っぷりが、かなり小物感出てて好きだ。こういう小物感ある小面憎いキャラって、後々良い奴になる可能性大だから個人的には一番期待してる人物でもある。

 

そして2045年の内閣総理大臣──まさかの外国人。でもって、名前が帝都って……ややこしいわ。首相官邸のエントランスホールで茅葺総理の肖像が掛かっていているのが感慨深い。茅葺総理のことだから、最期まで気丈に総理大臣を務めたんだろうなぁ。とか、色々と妄想が膨らむ。

 

米国籍を持った初の総理大臣。米帝から何かと責っ付かれ、スミスからは同胞だとか言われる始末。米国と日本の間で板挟みになりながらも、日本を憂うその気持ちが本物であることを証明してみせた。

 

それから、おそらく皆が思ってることだと思うけど、”オモシロ”ことスタンダードは本当に退場したのか……あまりにも呆気なさ過ぎて思わず同情してしまったんだが……

 

ストーリー

 

イントロからの引用。

2042年──
Great4(米帝、中国、ロシア、ヨーロッパ連合)は互いが”ウィンウィン”になる持続可能性を模索していた。米帝は人工知能、通称「コード1A84」を使用し、世界は後にサスティナブル・ウォー(持続可能戦争)と揶揄される”産業としての戦争”をスタートさせた。

 

しかし、各国が自国のみを最優先させようとしたことから、その後世界は深刻な事態を迎える。


2044年──
全世界が同時デフォルトし、各国の金融機関は取引を停止。
紙幣はただの紙屑となり、仮想通貨や電子マネーはネット上から全て消失した。

 

これをきっかけに”産業としての戦争”は急速に激化し、先進国においても暴動やテロ、独立運動、国を割っての内戦が勃発しはじめた。
そして2045年──

 

ストーリーは前半と後半の二部構成となっている。前半は離散した公安9課のメンバーが再結集するまでの道行き。後半は、新たに台頭した脅威『ポスト・ヒューマン』の行方を追う。

 

目くるめくアクションシーンの連続と、軽妙なテンポで展開していくストーリーが心地よい前半部分。中でも腕っ節がたくましくなったトグサくんが、少佐を追っかけて孤軍奮闘する様子は見応え抜群。マスタングで荒廃した北米大陸を疾駆するというマッドマックス的な展開。

 

いいねぇ。トグサくん。SAC1期での青臭さがすっかりそぎ落とされちゃって……とか思っていたら、クライマックスで中学生のポスト・ヒューマンに感情移入しちゃってて、椅子からずっこけそうになった。

 

バトーさんも相変わらず篤実というか、情にほだされ易いというか。虐げられた老人連中を銀行で助けちゃったりするし、首から弁当箱ぶら下げて大根芝居を打っちゃうし。この点、造形は変化してもキャラクターの根幹部分は変わってなくて安心できた。あぁ、やっぱり9課のメンバーってこうだよな。そうそう、この感じ。みたいな郷愁が込み上げてくる。

 

本作の根底にあるのは、そのタイトルが示すとおり技術的特異点(シンギュラリティ)である。

 

2045年問題に代表されるように、コンピューター分野における長足の技術的発展は、このままのスピードでかっ飛ばすとそう遠くない未来には人類を凌ぐ人工知能を生み出すと言われている。

 

SAC1期──すべての情報は共有した時点で単一性を消失し、意味を失うと説いたスタンド・アローン・コンプレックス。肥大化の一途を辿る情報化社会とその担い手たる個人の関係性がどう変化していくのか。

 

SAC2期──難民問題。米国の傘下に収まった安全保障条約。もし米帝が裏切った場合、日本はどうするのか。そのシミュレーション。

 

SSS──喫緊の課題である高齢者問題。今後急増する高齢者たちに政府はどう対応するのか。高齢者が増加したことで生起する新たな問題とは。ネットの海──情報の大海とその中から生まれた集団的無意識について=傀儡回し=人形遣いの新たな形を提示。

 

そして本作、2045──

 

サスティナブル・ウォー

攻殻機動隊SAC_2045

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

経済を維持するシステムとしての戦争──計画的かつ持続可能な戦争(サスティナブル・ウォー)

 

ぶっちゃけ、少佐たち戦闘野郎どもにとっては水を得た魚状態である。経済維持の歯車としての戦闘。経済を計画的かつ持続可能な状態に保つための機序としての戦争。それがサスティナブル・ウォーである。

 

戦争産業は今や一大ビジネスとなった。ブッシュ大統領が親の七光りで就任できたのも、父親が有する軍事企業が巨額の資産を持っていることと無縁ではないし、その軍事企業の放蕩っぷりは『アイアンマン』を見ればよくわかる。とはいえ、あれはイーロン・マスクがモデルなんだけどな。

 

アメリカの軍人たちは退役後の就職先として民間軍事会社を選ぶ。そして有能な戦闘要員を持った民間軍事会社は、アメリカ軍の片棒を担いでイラクくんだりまで派兵される。これとよく似た構図で、少佐たちは民間軍事会社に雇われて戦争の春を謳歌しているというのが物語のスタート地点だ。とはいえ、これは今こうしている間にも起こっている現実問題でもある。戦争によって貧しい者が困窮し、彼らを搾取して得たダイヤモンドがニューヨークの宝飾店で売買されている様子を活写した『ブラッド・ダイヤモンド』

あれはその一部であって、じっさいにはミサイル1基や戦闘機1基のほうが桁の違う金額が動く。畢竟、戦争は儲かる。だから止めない。終わらない。

 

『パトレイバー2』で押井守監督は、欺瞞に満ちた平和と正義の戦争をテーマに、戦争を画面の中に押し込める先進諸国をぶった切った。口では戦争だと言いながら、それを画面の中に押し込め、ここは戦場ではないと安堵する安っぽい平和。だからこそ、荒川はシニカルな笑みを浮かべながら後藤隊長に向かってこう言い放つ。「戦争だって? そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのはいかにケリをつけるか。それだけだ」

 

では、SAC_2045のサスティナブル・ウォーはどうか。

 

経済を変転させるための計画的な戦争状態。各国が自国の利を追求した結果、おのずから継続されてしまった戦争状態。その呼び水となった米帝の人工知能、1A84ってのがイマイチ謎なんだけど、詳細はシーズン2で明らかにされるんだろう。たぶん。

 

そして、そんな恒常的戦争状態のさなかに勃発した世界同時デフォルト。

これによって仮想通貨はあぶくと化し、紙幣は単なる紙へと堕ちた。騒擾をきたした世界各国では内戦・内乱が勃発し、冒頭で描かれる北米西海岸のようなマッドマックスひゃっはーな廃墟群が完成したというわけだ。

 

世界同時デフォルト

 

世界同時デフォルト──現在、すべての銀行は電子的システムによって保護されている。なにかの映画でどこぞの悪役が言っていた台詞──「この世の中で最も価値のあるものは、鍵だ。銀行を保護しているシステム。それすらも打ち破ることのできる鍵を手にした者こそが世界を制するのだ」と。

 

まったくもってその通りである。

 

現在の銀行はおしなべてコンピューターによる電子的なシステムによってその預金を保護している。では、もし何者かの手によって堅牢強固たるそのシステムが破られたとしたら? それがアノニマスのようなハッカーだとあまりにも突飛すぎて説得力に欠けるかもしれないが、もしそれが人間ではなく、人間を遙かに超える知性を有した存在だったとしたら。コンピューターによって生み出された存在ならば、人間が言葉を操るようにして電子データを、システムを構成する言語を操ることができるほどの電子的親和性を持っていても何ら不思議ではない。

 

それから、デフォルトといって想起されるのは、2008年のリーマンショックだ。あれは銀行というよりは株式市場がその被害者だったわけだけど、システムの複雑性と規模の大きさで考えれば近しいとも言える。映画『マネーボール』で詳説されているように、あの世紀の経済破綻を予期していたのはわずか数人しかいなかった。誰もその予兆すら感じていなかった。あまりにも複雑化・肥大化しすぎたシステムに、人はすっかり安心し、誰もそのシステムのディテールに目を向けようなどとは思わなかった。

 

それと同様にして、複雑化・肥大化しすぎた銀行というシステムが隠然と蓄積されてきた因子によって突如重大なバグを起こし、一夜にして全システムがダウンすることだって起こりうるわけだ。しかも、そこにポスト・ヒューマンなる不確定因子が台頭したあかつきには、もうそりゃね……

 

ポスト・ヒューマン

攻殻機動隊SAC_2045

(C)士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

 

あたかも超自然存在のように描かれているポスト・ヒューマン。何らかの要因によって人間が突発的に変容した結果、生み出された存在だと推測される。この場合の人間とは、義体化の有無は区別しない(シマムラタカシなる中学生が全身義体である可能性は極めて低い)

 

電脳化している人間が、まるでウイルス感染したかのように突如として高熱を発し、その後にポストヒューマン化する。ポストヒューマンとなった者は、あまねく機器・電脳へ瞬時にハッキングを行うことができるほどの超高度な処理能力を有する。軟体動物がダンスするような、あの奇っ怪な動きは9課のメンバーの電脳へハッキングし、弾丸が射出された瞬間にはあたかも弾道上に存在してるかのように見せる(目を盗む)ことで成立していると思われる。

 

かくも高度な能力を有する存在となると、これはもはや人間の皮を被った中身はまったくの別物。それこそ、具現化したAIと言い換えても過言ではない。ともすれば、これは『人形遣い』の新たな形ではないのだろうか。ポストヒューマンへ変容する因子が何であれ、それが外部からもたらされたものなのか、内的要因によるものなのかはさておき、中身が超人化したヒトの皮をかぶった『何か』というのは、もはや実質的な人形遣いと同義である。

 

そこでもたげる疑問は2つ。

 

まず、シマムラタカシなる中学生の過去と、それを幻覚として共有しているトグサくん。おそらくトグサくんは、シマムラの作成した郷愁を掻き立てるウイルスに感染しており、京都の里山という場所が引き金となって、エピソード記憶を幻覚として見ているのだろう。だが、もしあのフラッシュバックが幻覚だとしたなら、12話のラストシーンで物理的にトグサくんが消失したのはどういうわけなのか。バトーさんとボクたち観客には見えていないけれど、タチコマたちの目にはたしかにトラックに乗って立ち去るトグサくんが見えているような描写がなされている。では、あの幻覚に見えていた光景は、監視カメラに映り込んだ映像を消すのと同じようにして目を盗んでいたということなのか。

 

それからもう1つの疑問。シマムラタカシの傍らに立つ少女はいったい何者なのか。胸を撃ち抜かれて死んだはずの少女が幻覚として生きている。そしてあの少女もまた、シマムラ以外の人間の目には見えていない。

 

そして、今回のサブテキストとして用いられるジョージ・オーウェルの『1984』
これまで様々な作品でそのモチーフが援用され、やや手垢のついた感が否めないこの作品をあえて採用した神山監督の意図とは何か。奇しくも、前シリーズで登場するエシュロンの呼称は『ビッグブラザー』である。一望監視社会と化したディストピア。その卑屈さ。鬱屈した民衆感情。SNSでの炎上をモチーフにしたエピソードがあったけど、あのあたりが関係しているのかも。傍観者としてのマスと、彼らが生み出すヘイト。意図せずして作り上げたSNSという相互監視社会。でも、そこからAIと、それを人体にぶち込んだ超自然存在ポストヒューマンへと繋がる何かが足りないような気がする。

 

人類を越える存在──超自然存在ポスト・ヒューマンが台頭したとき、人間の存在意義とは何なのか。ぶっちゃけた話が、全人類をポストヒューマン化したほうが、よほど生産性があがるのではないか、ということだ。だとすれば、そうしないほうがいいという根拠は何なのか。どうしてそこまで人間に固執する理由があるのか。というディスカッションになってくる。

 

少佐は『スタンド・アローン・コンプレックス現象』について、並列化によって消失した個を取り戻す可能性として『好奇心』をあげた。

 

では今回の場合はどうするのか──その答えはシーズン2で明らかにされるだろう。

 

未来の世界観に「現在」の問題を代入してその答えを導出する──伊藤計劃氏によるメタルギアとポリスノーツ評によると、こういうシチュエーションをSF用語で「エクストラポレーション」と言うそうだ。(ちなみに、伊藤計劃氏が大ファンだと公言していた小島秀夫監督の初期作品『ポリスノーツ』の映像監修を手がけているのが、当時まだ美術監督だった神山健治監督である)

 

今、すぐそこに背中が見え始めているシンギュラリティ。その問題を2045年の攻殻機動隊の世界へ代入したとき、どんな答えが返ってくるのか。シーズン2が待ち遠しい限りだ。ネトフリさん、シーズン2の制作決定ってのは聞いたけど、いつ公開なの。これじゃ蛇の生殺しだから情報キボンヌ(死語)

 

にしても、SACシリーズの少佐って設定上では2006年生まれってことになってるから、本作だと39歳なんだよなぁ……

 

あの童顔で39歳かぁ……♪~(´ε` ) とか邪なことを終始考えていたというのはここだけの話。

 

とあるレビュー記事への苦言・反論

 

藪からスティックだけど、ボクは今から北野武になるからな。事務所に殴り込みに行ったときの北野武になるからな。そこんとこよろしこ。では以下、苦言──

 

URLを記してサイト名を名指しするような大人げない真似は致しませんが、看過すべからざる内容だったので徹底的に反論いたします。えー……ワタクシ、かなり怒り心頭に発し、怒髪天を衝かれております。

 

というのも、くだんのレビュー記事が公開されたのはあろうことか、作品がリリースされる数日前。つまり、試写でひとあし先に鑑賞したどこぞのライターさんが書いているということで。

 

必要以上に製作者へ媚びたレビューを書けとは申しません。むしろ全てのレビュー記事が拍手万雷、絶賛の嵐だったらちょっとビビる。だがしかし、かといってここまで邪険に(ボロカスに)扱われるいわれは毛ほども無い。なんてたって攻殻機動隊である。神山健治である。そしてあの完成度である。

 

それから、リリース以前から斯様なレビュー記事を投稿するなど、控えめに言って営業妨害。ある種の刷り込みだと誹られたとしても言い逃れはできないでしょう。

 

以下、引用部分は元記事。気になった人はテキトーにググって探してくれたまえ。

 

そもそも「サスティナブル・ウォー」と呼ばれる資本主義の暴走と「全世界同時デフォルト」という経済危機はなんだか矛盾するような事態だし、そもそもAIはどう関わってるの?

 

→ ポストヒューマンによって全世界の経済システムに何らかの攻撃が加えられたということがスミスの発言から暗示されています。サスティナブル・ウォーは直截的な説明がないものの、これは1話あたり22分程度の尺の都合上、致し方ないかと。経済を維持するシステムとしての戦争、それがサスティナブル・ウォーであることが幾度となくストーリー中で言及されています。もう一度観直しましょう。

 

パズやボーマが何をやっているのか謎。

 

→ ではお尋ねしますが、この二人が居室でプライベートな時間過ごしてるところ観たいッスか? 需要あると思うッスか? そもそも、この二人のプライベートが過去に描かれたことがありましたか。2ndGIGの造顔作家のくだりでパズの過去の女のエピソードが登場しますが、そこでもパズのプライベートはことさらつまびらかにはされなかったはず。

それに、この二人のプライベートを今更じっくり見せられたところで、誰得という話である。そう。誰得。よほどのパズファンならいざ知らず、今さらのこのこ出張ってこられても古参ファンは戸惑うこと必定。
全体的にあまり良い印象を抱かなかったのかもしれませんが、これは自説を固めるための曲解・こじつけと受け取られかねないと思います。

 

バトーの雰囲気や設定はこれまで通りのものだ。(画像に付記されたキャプション)

 

→ いや、他のメンバーについても同じですから……

 

もっとも、前半部で新キャラとして登場したスタンは空気のような存在であったが……。

 

それは認める。そこだけは激しく同意する。

 

3Dアニメ特有の背景の殺伐さや、モブキャラクターの不自然さが気になるところだ。

 

→ いや、そこまで気にならなかったんですが……減点方式でレビューしようというバイアスがかかってるからそう見えるだけでは。

 

特にハッキングや電脳に関する考証は従来作に比べて甘く感じられる。

 

→ それだけ現代のテクノロジーが攻殻機動隊の世界に近づいたってことじゃないんですか。そもそも、電脳技術に関する説明描写なんてこれまで一度たりとて出てこなかったと記憶しておりますが。

 

もっとも、刑事ドラマのように草薙素子とトグサが一般市民の家に事情聴取に伺う姿は不気味さを通り越して、シュールな笑いを誘う。

 

→ いや、むしろ何でもかんでもハッキングして情報抜き取ってたら映像的に映えんだろ常考。SACシリーズから刑事ドラマらしく、9課のメンバーは自らの足で情報を集めに行っておりました。それを忘れたとは言わせまへん。

 

不自然に扇情的なハイレグ姿な素子のユニフォームは『攻殻機動隊』のお約束として許容するとしても、現代と変わらぬファッションをした一般市民の家に入り込むには慎みに欠けるのではないか。そもそも銃のホルスターが丸見えだ。

 

→ 前半部分は激しく同意。珍しく意見の合致をみた。ボクたち気が合うかもね!ハイレグに関しては。

→ 慎みに欠ける……だと? 個人の自由だよ、馬鹿野郎! 少佐の人物像を考えてみろ! ありえん話じゃないだろ! 義体化した人間ってのは、おそらく身体性に関して無頓着になるもんなんだ。劇場版で半裸状態の少佐にバトーがジャケットを被せてやるシーンを忘れたのか!
慎みに欠けると言うなら、お股すれすれハイレグな恰好で首相官邸に顔を出してたSAC1期の方がよっぽど欠如しとるわ。

 

神山・荒牧コンビによる『ULTRAMAN』では、このあたりの部分はシュールなギャグとして見逃せていた部分である。

 

→ あなた何様ですか? お客様は神様とか思ってる感じっすか。「生!」って注文されたら倍額料金ぶんどってもOK牧場とか思ってる感じの人っすか。

 

批評と批判は違う。前者はクリエイターにしかるべき敬意を払って作品を論じるのであり、後者は単なる独断と横暴である。

 

物語に関しては、今後のシーズンで奇跡的な挽回も可能であろうが、3Dアニメとしての演出や作劇は未だ発達段階に思える。

 

→ いや、むしろフル3DCGで製作されたテレビアニメシリーズで目下、本作をしのぐ作品など無いと思うのは私だけですか……

 

ドラマのムードを掴みそこねている劇伴、ハンス・ジマー的な効果音を多用しすぎなどサウンド面でも不満は残る。

 

 

→ 壮大でエピックな音響=ハンスジマーだと決め打ちし過ぎかと。ジェームズ・ニュートン・ハワードはどこへいった。近頃引く手あまたな、あなたの言うジマーの愛弟子 ラミン・ジャヴァディはどこへ消えた。1話目の荒野での戦闘シーンで流れるジャズなんて最高にクールだったじゃないですか。モダンで洗練されたオープニング、攻殻機動隊らしいサイバネティックなエンディング。これ以上、いったいなにを求めるのですか、あなたは。

 

 

最後に一言だけ言わせてくれ。
素子かわいい。