Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

ブラック・クランズマン: スパイク・リー監督が投げかけた大きな疑問符

映画『ブラックク・ランズマン』

 

 

あらすじ

アメリカ、コロラドスプリングスの警官になったロン・ストールワース(ジョン・デヴィット・ワシントン)は、とある新聞広告を目にする。その広告によると白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の団員を募集しているという。黒人であるという素性を隠して電話をかけるロン。黒人への侮蔑を並べ立てて、まんまとKKKを騙すことに成功する。そして、ついに団員になったロンは相棒のフリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)と共に、KKKへの潜入捜査を開始するのだった。

 

2019年のアカデミー賞では残念ながら脚色賞 受賞にとどまった『ブラック・クランズマン』 メガホンをとったのは『ドゥ・ザ・ライト・シング』『マルコムX』のスパイク・リー監督。主演を務めるのはリー監督の盟友デンゼル・ワシントンの息子、ジョン・デヴィット・ワシントン。元アメフト選手という経歴を持つジョン・ワシントンは、9歳の時に『マルコムX』に端役で出演している。本作で白人英語と黒人訛りを使わける器用な警官を好演した彼は、クリストファー・ノーラン監督の最新作で主演を務めることがはやくも決まっているとか。

 

Spoiler Warning——ネタバレを含みます

嘘のようなホントの話

 

先日公開された『グリーンブック』は、エンターテイメントの中に黒人差別というアメリカの暗部を織り込んでアカデミー賞に輝いた。粗野なイタリア人用心棒と繊細な黒人ピアニストの交流を描いた社会派映画でありながら、随所に散りばめられたコメディ要素が絶妙に絡み合って素晴らしいエンターテイメント作品に仕上がっていた。一方、『ブラック・クランズマン』は歯に衣着せないメッセージ性でもって黒人差別を真っ向から抉るように活写する。しかも、社会派の硬い映画に傾倒せず、しっかりとエンターテイメントとしても楽しめる。スパイク・リー監督のこの手腕にはただただ感服するばかりだ。

 

黒人の警官が身分を偽ってKKKに潜入捜査する————まるで映画のようなスリリングな話だが、これが実際の出来事だというのだから驚くばかりだ。資料室から情報課へ転属になったロンは、さっそくKKKの広告に電話をかける。流暢な白人然とした話しぶりで黒人をこき下ろすロンを見て、あっけにとられる同僚たち。他の監督がすれば炎上案件になりかねないが、人種差別を扱ってきたスパイク・リー監督だから許されるギリギリのライン。笑っていいものかどうかと複雑な気持ちになるけれど、受話器を片手に全力で黒人を罵倒するロンの姿はシュールな笑いを誘う。

 

ロンを演じるジョン・デヴィット・ワシントンの演技が、これまた恐ろしく器用なのだ。とある場面ではブラックスプロイテーション映画の主人公のようなアクションでおどけて見せ、そうかと思うとKKK団員の家に石を投げ入れる勇敢な一面を見せる。また、自身の分身を演じるフリップに黒人の話し方を指導する場面では、父デンゼル・ワシントンのようなエネルギッシュさでもってシーンを盛り上げる。

 

器用な演技を見せるのはジョン・デヴィット・ワシントンだけではない。彼の相棒を務めるフリップ役のアダム・ドライバーも、インディーズ映画出身らしいコクのある演技で脇を固める。身分を偽ってKKKへ実際に潜入するという大役を務めるフリップ。

 

微塵も思っていないにも関わらず、平然と黒人を侮蔑してのける口腹別男っぷり。素性がバレやしないかとヒヤヒヤしながら見ていたけれど、顔色一つ変えずに鷹揚として難局をすり抜ける器用さを見せつけられたら安心するほかない。実際のロン・ストールワースとは別人であるという隠し事があるうえに、ユダヤ人でもあるフリップ。彼を目の敵にするフェリックスから何度も猜疑的な目を向けられるも、それすら難なくすり抜ける。様々な葛藤を抱えながらも、それをおくびにも出さない落ち着き払った演技は素晴らしいの一言に尽きる。

 

個人的にはアダム・ドライバーのくぐもった低い声が好きだ。というか、『スター・ウオーズ』のカイロ・レンなんてマスク越しでも声だけで1人のキャラクターを感じさせるじゃないか。元軍人という異色の経歴を持つアダム・ドライバー。がっちりとした骨格に、すらりとした高身長、ややクセの強い面立ち。なんとも味わい深い俳優さんだなと、スクリーンで見るたびに思う。

 

そして、ストーリーが展開していくにつれて徐々に高まっていく緊張感。クライマックスではついにロンとKKKの最高幹部デービッド・デュークが顔を合わせる。フリップは正体を暴露されて危険が迫る。マッドサイコ野郎フェリックスの妻——ふくよかを通り越してもはや歩く要塞の域に達した肥満女性——がC4爆弾を仕掛けようとする。これまで広げてきた風呂敷を急速に畳んでいくスピード感あふれる展開は、まさにエンターテイメントだ。中盤でしっかりと社会性を全面に押し出しながら、クライマックスでは急速に展開して幾重にも重なった層を1つにまとめ上げる。このバランス感覚が素晴らしい。

 

マッドサイコ野郎フェリックスは爆発に巻き込まれて死亡した。主人公は署内でも成果を認められて凱旋する。いけ好かない白人至上主義者の警官は、現場を押さえられて逮捕される。全てが丸く収まったと思いきや、捜査はもみ消しにされる。そのうえ、今後は別の部署に異動させられる始末。やはり黒人が白人至上主義者の団体をかき乱すのは、警察組織としても看過できないということなのか。ここでも理不尽な壁が立ちはだかる。

 

強烈なメッセージ性

 

映画が始まってすぐに『風と共に去りぬ』の名場面がスクリーンに映し出される。ゆっくりとカメラがクレーンアップしていくと南軍の国旗が画面に映り込む。そして、白人至上主義者のプロモーション映像が始まる。これだけで、『ブラック・クランズマン』のメッセージ性の強さがひしひしと伝わってくる。「目を覚まして現実をよく見るんだ。今から語られる物語は昔の話じゃない。状況は南北戦争の頃から何にも変わっちゃいないんだ」————スパイク・リー監督がこんなことを言っている姿が頭に浮かんだ。

 

『ブラック・クランズマン』は黒人という生き方を、虐げられながらも誇りを失わずに生きるマイノリティーの姿を、オブラートに包まず真正面から捉えている。冒頭の資料室のシーンでは、訪れる警官たちが片田舎の白人らしく黒人に対して露骨に嫌悪感を示す。

 

本作でKKKの団員たちは容赦なくありありと描かれる————黒人を目の敵にして、あたかも同じ人間ではないとでも言いたげな態度を、一切のセーフティを外して克明に描写するのだ。黒人に対する態度があまりにも非人道的すぎて見ている途中で胸くそ悪くなったけれど、裏を返せばそれだけありありと、逃げることなくKKKの非道っぷりを描いているということになる。D・W・グリフィスの『國民の創生』を見ながら歓声を上げるKKKの姿は、見ていて吐き気すら感じた。

 

KKKは白人至上主義者の団体だ。白人こそが絶対的に優位なのであって、それ以外の種族はすべて彼らの足元にあるというのが基本理念らしい(こいつら本気で言ってんのか? ) つまりは黒人だけでなく私たちアジア人も、フリップのようなユダヤ人も含めて排斥の対象となるわけだ。だから、マッドサイコ野郎フェリックスは頻繁にフリップに対して「お前はユダヤ人か?」と問いかける。

 

フリップは、ユダヤ人であることをあまり意識したことがなかったとロンに打ち明ける。だが、そんなフリップの意識は潜入捜査を通して変化していく。黒人であることに誇りを持って生きるロンの姿を見て、フリップの意識が変わったのだ。

 

自身のアイデンティティーに誇りを持って生きるのは彼だけではない。「ブラックパワー」を提唱するクワメ・トゥーレも、彼の演説に心打たれた聴衆も、自身のアイデンティティーに誇りを持っている。どれだけ社会的な圧力に晒されようとも決して屈することなく、たくましく生きる彼らの姿は深く胸に突き刺さる。

 

そして、ラストで挿入される実際のKKKの映像が観客に最後の揺さぶりをかける。中でも2017年にシャーロッツヴィルで起きた暴動の映像——白人至上主義者たちのデモ活動に抗議する群衆の中へ、車が勢いよく突っ込む衝撃的な映像——は目を覆いたくなるほどに凄惨だ。

 

劇中でロンはパトリスに優しく諭す。警官を(ピッグ)と呼んではいけないと。そうだ、マーティン・ルーサー・キングがそうだったように、理不尽な圧力に立ち向かうためには勇気を示す必要があるのだ。暴力ではなく。だけど現実には、暴力が行使されている。そしてその浅はかな暴力が次の暴力を呼ぶのだ。

 

「やった・やられた・仕返した」————憎しみの連鎖がアメリカを覆い尽くしている。そんな状況に警鐘を鳴らすかのように、映画の最後には逆さまになった星条旗が映し出される(逆さまになった星条旗はSOSを意味する)  カラーで色鮮やかだった星条旗は、やがてモノクロへと変化していく。白人と黒人の対立構造を象徴したかのようなモノクロの星条旗。大きな疑問符を投げかけてエンドロールが流れ始める。

 

差別する白人と反撃する黒人:憎しみの連鎖

 

私たち日本人がアイデンティティーを意識するのは、せいぜいスポーツの世界大会くらいだ。日本はヨーロッパとは違って陸続きではないし、島国という地理的な都合上、他国の人と接する機会は少ない。一方、アメリカ合衆国はというと、イギリスから船で乗り付けた白人たちが先住民を追い出して建国した。国を発展させるためには貿易が必要で、貿易を行うためには商品が要る。その商品を作る労働力として黒人奴隷が連れてこられた。

 

そして時を経て南北戦争が勃発し、リンカーンが「奴隷開放宣言」を発布する。この時から現代に至るまで、黒人に対する蔑んだ社会的な感情はアメリカを覆い続けている。時代が進んで黒人に対する悪感情は「公民権運動」当時と比べると少しは薄れたけれど、アメリカではいまだに根強く残っている。KKKなんて20世紀の負の遺産だと思っていたし、2020年を迎えようとしている今日でも会員数が8000人もいたなんて思いもしなかった。

 

KKKはどうしてこうも黒人を目の敵にするのだろう?   劇中に登場した支部長のように、過去に黒人から何らかの暴力を受けたとか様々な事情があるのかもしれない。育った環境が黒人を蔑むのを当然とする風潮だったから、おのずと思想もそれに追随したのかもしれない。もしくは、自分たちの安定した生活がアウトサイダーによって侵害されると本気で信じているのかもしれない。

 

どれだけ考えようとも、私は純正の日本人だしアメリカの土地を踏んだ経験もないので正直なところ理解しにくい。でも、これだけは言える————いかなる理由があろうとも人種を基準にして差別してはいけない。KKKのようなアメリカの極右団体の思想は分からないし、その背景も勉強不足で分からないから何とも言い難いけれど、だからといって彼らの横暴を看過してはいけない。

 

たしかに彼らの思想は理解できない。でも、理解しようという姿勢を見せなければ状況は一向に変わらないのではないか。日本人だから関係ないとか、アメリカ人の問題だから他人事だとか言わずに、私たちも一緒になって考える必要があると思う。

 

白人たちは言う————犯罪データが示している。スラム街の黒人たちがどれだけの犯罪行為に手を染めていることかと。だけど、これだってスラム街という生まれた環境、育った家庭に原因があるのかもしれないじゃないか。どうしてこうも互いに憎み合う必要があるのだろうか。どうしてみんな仲良く手に手を取り合って生活することができないのか。

 

青臭い理想だという自覚はある。でも、だけど、アメリカ合衆国が建国されてから200年強、建国の父たちが合衆国憲法にサインしたあの日から人類は少しも偉くなっていない。どれだけ生産性を追い求めようと、いかに文化的に豊かになろうと、人間的に成長していなかったら意味ないじゃないか。小学校で習ったじゃないか。自分がされたら嫌なことは他人にしてはいけません。補助輪付きの自転車に乗っていた頃にはできていたことを、大人になってからできないのはどうしてなんだろう。

 

社会という大きなシステムに組み込まれて、仕事に忙殺されて気がつけば家庭を持って子どもがいて…… 忙しさを理由にもっと大切な何かを忘れていないだろうか。アメリカだけじゃない。日本だって在日朝鮮人への差別や部落差別がいまだに残っている地域もある。

 

かくいう私も、自分のことで精一杯で普段はこういった感情を忘れてしまいがちだ。だからこそ、『ブラック・クランズマン』や『グリーンブック』のような映画が必要なんじゃないか。仕事や家庭に忙殺されている私たちの目を醒まして現実を突きつけるような映画が。そして、これらの映画を見て自分なりに考えることが必要なのだと思う。

 

学生時代に与えられる問題には正解と不正解の2つしかなかった。でも、社会に出て直面する問題の大半は白とも黒ともつかないようなグレーの問題ばかりだ。その白黒つかない曖昧な問題を考えて自分なりの答えを出すこと————そのキッカケを与えてくれる映画が必要なんじゃないかな。今すぐに答えが出て全世界から差別が霧のように消えるとは思わない。でも、みんなが考え続けることで今後の世界はより良い方向に進むことができると信じたい。

 

先日、ホロコーストの捏造を主張する高須医院長のツイートに対してアウシュヴィッツ記念館が警告するという一件があった。もし高須医院長が本気で言ってるのなら人間性を疑わざるを得ない。こういう人がいるからこそ『シンドラーのリスト』や『ライフ・イズ・ビューティフル』といった映画がつくられたのに。

 

ニュージーランドで無辜のイスラム教徒が射殺された事件も記憶に新しい。「やった・やられた・仕返した」————憎しみの連鎖はどこまでも広がっていく。止まることなく、どこまでも。

 

みんなで考え続けることで、この負の連鎖を断ち切れる日が来ると信じたい。

 

おすすめ度 

 

作品情報

原題:BlacKkKlansman

原作:ロン・ストールワース著 『BlacK Klansman』

 

監督:スパイク・リー 『マルコムX』『インサイド・マン』

脚本:スパイク・リー
デヴィッド・ラビノウィッツ
ケヴィン・ウィルモット
チャーリー・ワクテル

 

撮影監督:チェイス・アーヴィン 【ビヨンセのアルバム『レモネード』のPVを手がけた】

音楽: テレンス・ブランチャード 【アメリカのジャズ・トランペッター。映画音楽も手がけている。代表的な作品には『キャデラック・レコード』『マルコムX』などがある】

編集:バリー・アレクサンダー・ブラウン 『マルコムX』

 

製作会社:レジェンダリー・エンターテインメント
パーフェクト・ワールド・ピクチャーズ
ブラムハウス・プロダクションズ
モンキーパー・プロダクションズ
QCエンターテインメント

 

配給会社:フォーカス・フィーチャーズ(アメリカ)
パルコ(日本)

上映時間:128分

制作費:約15億円………*1

 

Imdbスコア:7.5………*2

Rotten Tomatoスコア:96………*3

公式サイト: 『ブラック・クランズマン』公式サイト

 

データ

観た場所: TOHOシネマズ 梅田 スクリーン6

観た時間: 2019年 3月 23日 17時

観客の平均年齢: 30代後半くらい

空席の数: ほぼ0%

男女比: 男性60% 女性40%

*1:Source

*2:2019/03/24時点

*3:2019/03/24時点