Hush-Hush: Magazine

映画の批評・感想を綴る大衆紙

なぜ日本の映画料金は高いのか? 映画会社の人に訊いてみた

日本の映画料金はなぜ高いのか?

 

 


先日、ニュースを見ていると今年の秋から値上がりする映画館の料金に関するニュースが流れてきた。前々から、どうして日本の映画館は高いのか疑問だったし、その理由も有耶無耶にされている気がしていた。私が愛読しているブログの主、KONMA08さん(id:konma08)の後押しもあり、記事にしようと勇躍していたのもつかの間。ググってみたけれど、納得できる答えが一向に見つからない。どうしたものかと頭を捻っていたところ、あることに気がついた。

 

映画館のことなら映画館に訊けばいいじゃないか。

 

というわけで、映画館を運営している会社にメールや電話をして調べてみた。6社に連絡を取り、その中の2社から貴重なお話を聴くことができた。ご多忙の中、貴重なお時間を割いてくださった運営会社の方々、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

映画館の料金はなぜ値上がりし続けるのか?

 

日本の映画料金はグローバル規模で見てもダントツで高い。日本の映画館は綺麗だ。清潔だし、ポップコーンは美味しいし、コーヒーもうまい。でもね、それを考慮しても高すぎると思わない? 1800円あれば、TSUTAYAで旧作のDVDが10枚以上レンタルできるし、ネットフリックスなら一番上のプランで契約できる。

 

まぁ、そんなことボヤきながらも、しっかりと通常料金1800円を支払って足繁く映画館に通ってしまうのが映画ファンの悲しい性なんだけども……

 

そもそも、いつから映画の料金は1800円がスタンダードになったのだろうか。

 

映画料金の推移

 

調べてみたところ、現在の料金に改定されたのは1993年。そして今年、2019年の秋には1900円に値上がりする予定だ。この数字だけを見ていると、映画館は自らの首を絞めているようにしか思えない。というか、当初の私は憤りすら感じていた。

 

「映画ファンを舐めとんのか……」と。

 

だけど、今回色々と調べてみて、「そう簡単に白黒つけられる話でもないな」と思い始めている。1900円という数字の裏側には、様々な要因がひしめき合っていたのだ。

 

主な理由は物価の上昇と収益減

 

端的に言うと、一連の値上げの主な要因は物価の上昇と収益の減少だ。以下は、物価指数の推移と映画料金の推移を比較したグラフである。フリーハンドで描いたのかとツッコみたくなるくらいに、同じような曲線を描いている。

 

映画は娯楽産業だし、景気やら物価に左右されるのも頷ける。電話で懇切丁寧に色々と教えてくれた映画会社の人いわく、昭和30年台の映画料金は床屋の値段と同じくらいだったそうだ。

 

物価指数と映画料金

映画料金のメカニズムより引用

 

物価の上昇に比例して、1970年代の映画料金はぐんぐんと値上げしている。そして、バブルが弾けた90年台、さらなる追い打ちをかけるようにして89年に消費税が導入される。90年台は、日本の映画市場が低迷していた時期でもある。

 

最初こそ、1500円で踏みとどまっていた映画館だったが、93年には現在の価格1800円へ値上げすることになる。その後、97年には消費税が5%に引き上げられ、2014年には8%、そして2019年秋には10%になろうとしている。

 

映画会社の人いわく、過去2度の消費税引き上げ時には、ちょうどシネコンの数を増やしている真っ最中だったらしく、収益減のリスクを回避するべく値上げは保留したそうだ。そして、今年の消費税の引き上げでは、四の五の言っている余裕がなくなって、ついに値上げすることにしたらしい。

 

くわえて、90年台~2000年初頭に建設したシネコンの修復やら、新たな設備投資やらで、ある程度まとまった額のお金が必要だったのも、値上げに踏み切った一因らしい。15年程度で修復作業が必要になってくると考えれば、ちょうど今年あたりがそのピークなのだろう。

 

更には、都心部の最低賃金は年々値上げするわ土地代もじわじわと右肩上がりを続けるわで、映画会社は苦境に立たされているようだ。

 

次に、収益を調べてみた。以下のグラフは、映画館の入場者数の推移を示したものだ。

 

入場者数の推移

 

 

ピークの1960年が頭ひとつ抜け出ていて、他が霞んで見えるけれど、単位は千人なので2018年ですら1億人いることになる。1960年の人口が約9300万人だから、この当時は全国民が1年に10回は映画館に行っていた計算になる。まだ白黒テレビが普及していなかった1960年。現代ほど娯楽の手段が多くなかった当時は、喫茶店に行くような気軽さで人々は映画館に向かっていたのだろう。

 

興行収入の推移

 

興行収入の変遷を見てみると、大幅に値上げした70年台は映画料金と共に興行収入も右肩上がりを続け、80年台でピークを迎えている。そして、90年台は低迷し、2000年台になってようやく持ち直してきた。ドラマの映画化や、アニメ映画のブーム、漫画原作の邦画など、新しい試みが成果を挙げ始めたのだ。

 

テレビとビデオの普及

 

映画館の収益が減るということは、映画館に行く人が少なくなっているということだ。その主な要因は……? 最近だと、まっさきにストリーミングサービスの台頭が指摘されるけれど、まずは順を追って昭和から見ていこう。

 

テレビの普及率

出典:帝国書院

 

1960年台半ばになると白黒テレビの普及率が80%に到達する。ちょうど同じ頃、入場者数はピークだった1960年の半分以下に落ち込んでいる。そして、1970年から75年にかけて、カラーテレビの普及により、入場者数は更に減少することになる。その後、80年台後半に入るとVHSが普及し始める。これと同じ頃、レンタルビデオ店が登場する。そして、90年台後半にはDVDが登場し、レンタルビデオ店の棚にもDVDが並ぶようになる。

 

技術が発展するにつれて、映画は「映画館で見る特別なもの」から「家庭で気軽に楽しめるもの」へと変わったのだ。

 

そして、近年急速に勢力を拡大しているのがストリーミング配信である。2000年初頭には宅配レンタルのビデオショップだった企業が、世界に名だたる一大テック企業に化けるなんて、誰が想像できただろう。

 

ストリーミングサービスの台頭でDVD・ブルーレイのセールスは落ち込んでいる。映画会社にとっては、ストリーミング配信の方がディスク販売よりも収益が少なくなるので、さらに苦しい立場に追いやられる羽目になる。

 

また、ゲームやレジャー施設、音楽ライブなど、娯楽の選択肢が大幅に増えたことも要因の1つだろう。1960年台であれば、少ない娯楽の選択肢の中から消去法的に映画館を選ぶこともあったかもしれない。だが、娯楽の選択肢が増えた昨今、数ある娯楽の中から映画館を選び取ってもらうのは難しくなっている。

 

同一会社による配給と興行

 

ここまでは、物価と収益の観点から映画料金の推移を追ってきた。だが、映画料金が現在の価格にまで値上がった要因はこれだけじゃない。伝統的な日本の映画産業の仕組みにも、その一因は潜んでいる。

 

私たちが映画館で映画を観るまでには、主に3つの組織が関わっている。

 

  • 製作会社
  • 配給会社
  • 興行会社(映画館)

 

これらの3つである。製作会社は、映画を企画してカメラを回す。映像プロダクションやら、製作委員会やらがこのグループに属する。モノが出来上がったら配給会社が作品の権利を購入し、作品を宣伝する。そして、映画館は配給会社にお金を支払って映画を上映する。

 

製作・配給・興行の違い

 

ハリウッドでは、この3つのグループがそれぞれ独立した形をとっているが、日本の場合は大手の映画会社がこれらを全て自社でまかなっている。つまり、映画を撮って映画館で上映するまでのプロセスを、ほぼ1つの会社で完結できるのだ。厳密には資金繰りの段階や、宣伝の段階などで外部の力を借りているのだけれど、枢要を占めるのは1つの会社なのだから凄いとしか言いようがない。

 

言うなれば、忘年会の幹事を1人でやってるみたいなもんですよ、これは。店の下見から予約、名簿作成に当日のイベント企画、さらには帰宅後のアフターケアまで全部1人でやってるレベルですよ、もはや。

 

日本の大手映画会社って、凄いんだなと思った今日この頃。

 

どうして1社で全てのプロセスをまかなっちゃうのかしら? それぞれ個別にやれば労力も分散されると思うんだけど。まぁ、1社が采配を振ったほうがお金は儲かるんだろうな、多分。

 

日本の場合、配給会社の方が映画館よりも強い立場にある。映画のチケットの売上は、映画館と配給会社が分け合う仕組みになっている。映画館は配給会社から作品を卸してもらっている立場にある。もし、先進的な映画館が勝手に料金を値下げしたとしたら、配給会社から作品を卸してもらえなくなる。

 

○宝とか、○映、○竹といった大手の映画会社は、製作会社であると同時に配給会社であもる。もし、勇み足で手前勝手なマネでもしようものなら、村八分は必至である。しかも、映画館が収益を見込める人気作品の多くは、大手の映画会社が手がけている。

 

これって、独占禁止法じゃ……

というか、もはや麻薬カルテルの様相を呈している。

 

映画館が配給会社から作品を卸してもらう時に結ぶ契約には、映画料というものがある。この映画料が、世界的に見ても日本は高めに設定されているのだそうだ。これは、過去に洋画を持ち込んだ時の名残らしい。当時は日本映画の立場がまだ弱かったため、不利な条件でも受けるしかなかったのだ。それが慣習となって今でも続いているという構図。

 

まさに下級生をイビる運動部の先輩といった構図である。

 

シネコンの台頭

 

1993年、海老名に日本初のシネコンがオープンした。日本のマイカルグループと、アメリカのタイム・ワーナー社が協力した結果、日本にもアメリカ式の映画興行が到来することになった。今はなき「ワーナー・マイカル・シネマズ」の誕生である。子供時代、映画が始まる前に流れるワーナー・マイカルのCMが好きだった。今はもう観られないと思うと、なんだか切ない気持ちがこみ上げてくる。

 

シネコンが日本にオープンした当初、興行主たちがたかをくくっていたのもつかの間。「効率的に金を稼ぐ」アメリカナイズな戦略を前に、旧態の映画館はあっけなく消えていった。シネコンというシステムは、効率的で無駄なく稼ぐ。様々な作品を複数のスクリーンで上映できるし、それによって集客も見込める。人気のある作品は同時に2つのスクリーンで上映して売上を伸ばせるし、もしコケたとしても他の人気作品でカバーできるから万事OK牧場。

 

しかも、ショッピングモールなどの大型施設に付設していることが多いので、小売店にとっても、映画館にとっても互いにWin-Winの関係が築けるというわけだ。

 

ポマードを撫でつけた髪に、逞しい胸板、口角をあげる営業スマイルをたたえた、まさに絵に描いたようなアメリカンスタイルの経営方法である。言うなれば、『ウォール街』のゴードン・ゲッコー。現代なら、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョーダン・ベルフォート。

 

まぁ、冗談はさておき、シネコンが革新的だったのはサービス面である。

 

スターウォーズ エピソード1の公開に合わせて導入が進んだTHXサラウンドなどの音響システムをはじめ、ゆったりとした座席、品揃えの豊富な売店などなど。サービス面での付加価値をつけて、より上質な映画体験を観客に提供したのだ。

 

くわえて、シネコンは割引料金も導入した。今では当たり前となったレディースデイやファーストデイなどの割引システムは、シネコンの功績と言っても差し支えないだろう。割引システムの導入によって、1800円という敷居を低くした点は大きい。だが、そのシネコンですらも、今や大手の映画会社が所有している。

 

シネコンの普及によって、大手映画会社の力がさらに強まったことは誰の目にも明らかである。

 

なぜ日本の映画料金は世界一高いのか

 

グローバル視点で見たとき、日本の映画料金はずば抜けて高い。So Expensiveである。諸外国と日本の映画料金を比較したグラフを目にした人も多いだろう。そう、ちょうどこんな感じのやつ。

 

世界の映画料金の比較

 

 

映画会社の人いわく、アメリカでも都市部では人件費と土地代が高いから、日本とさほど変わらないという。地方に行けば安くなるが、アメリカの映画料金はそれらの平均を示したものなのだ。

 

ホンマかいな……と訝りながら、アメリカの映画事情を調べてみた。

 

サンフランシスコでは1600円程度。ふむ、たしかに高い。

 

参考記事:Majestic Cinemas Website

 

テキサス州にあるこちらの映画館。昼興行ならたったの5ドル。日曜から木曜までは大人料金7ドル。うむ、たしかに安い。たった1コインで観られる映画館なんて、日本だとトビタシネマの学割くらいじゃなかろうか。

 

結論

 

ここまで、映画料金の推移について複数の視点から見てきた。冒頭でも言ったように、映画料金がここまで値上がりした主な理由は物価の上昇と収益の減少である。

 

だが、それ以外にも複数の因子が絡み合って、映画の料金は値下げできない状況に陥っている。いまだに解決されていない多くの問題がそうであるように、一概に「これが原因だ」と言い切ることはできない。

 

だが、これらの因子(物価と景気・消費税・収益の減少と映画館離れ・映画産業の仕組み・シネコンの台頭・娯楽の選択肢の増加)すべてが、現在の映画料金をつくりあげたのだ。

 

あえて言えば、どれが悪いとか、こいつが原因だとか、そういう問題じゃない。

 

全部が原因なのである。

 

要するに、これらの問題を全てを綺麗さっぱり片付けないことには、映画の料金は一向に下がらないということだ。

 

アメリカでは、定額を支払えば映画館で映画が見放題になる、ネットフリックスの亜種のようなサービスが話題だが、ビジネスモデルに問題が多く前途多難である。

 

総括として、現在の価格に対する意見を見てみよう。

 

映画料金についての意見

出典:中央調査社「映画」に関する意識調査 2007.11

 

やっぱり1800円は高いよね。

 

私自身、1ヶ月の間に5本くらい映画を観たときは、体感的に「結構使ったな……」と思った経験がある。1000円は現実的な数字じゃないと思うけれど、せめて1500円くらいになれば嬉しいんだけどなぁ

 

とか、四の五の言いながらも、映画館に行く自分が想像できるのが悔しいけれど。

 

映画館の未来予想図

 

デジタル配信が日常となった昨今で、わざわざ映画館に足を運ぶ理由はあるのだろうか?  視聴覚デバイスの発達によって、映画は自宅でソファに寝そべって楽しめる気軽なものに変わった。映画館で映画を観ることに、いったいどんな意義があるのだろうか?

 

予告編が終わって、室内の照明がすっと消える瞬間————あの胸の高鳴りを味わいたいから、私は映画館に足を運ぶ。映画館という空間は、見知らぬ誰かと映画体験を共有する空間だ。観客はスクリーンの中に、自分自身を、家族や恋人を、ときには嫌いな人までを見出す。

 

映画を見ているとき、観客はスクリーンの中の世界に入り込んで、自分自身をそこへ投影する。

 

映画を観るという行為は、自分と向き合うことだ。そして、その時間を他の誰かと共有できるのが映画館という特別な場所なのだ。その相手は恋人かもしれないし、友人かもしれない。もしかしたら、まったく見ず知らずの他人かもしれない。

 

私はいつも、少し早めの時間に座席に着く。上映が始まるまでの間、友人と話しながらどんな人がこの作品を観に来ているのか眺めている。仲睦まじそうな老夫婦、休日を満喫している親子、付き合い始めて間もない感じのカップル————映画館に来る人は、作品によってほんとうに様々だ。

 

老若男女が映画館に来るけれど、その全員に共通しているのは、どこかみんなソワソワとしていることだ。これからどんな映画が始まるんだろう、と心のどこかでソワソワしている。顔には出ないけれど、どこか浮足立った感じが佇まいに表れているのだ。これから始まる映画に期待と興奮を抱きながら、自らの座席を探す人々の顔を見るたびに、「映画館って素敵な空間だな」と骨身に沁みて感じるのだ。

 

映画館の未来予想図には、どんなことが描いてあるのだろう。

 

かつて、たかをくくっていたコダックがあっけなく倒産したように、映画館も消えてしまうのだろうか。

 

この素敵な空間が、いつまでも人々に必要とされますように。


映画の未来に幸あれ。